文武王
投稿者: mutekinozerosen 投稿日時: 2004/09/30 23:12 投稿番号: [153009 / 232612]
実在の新羅王らしい。
龍となって国を守った文武王伝説
時代はさかのぼって7世紀。4世紀から続いた新羅、百済、高句麗の三国体制がついに崩れた。660年、新羅の第29代国王、武烈(ムヨル)王が、唐と連合して百済の国を制圧。翌年、武烈王は覇業半ばにして病に倒れるも、息子文武(ムンム)王が後を継ぎ、668年高句麗を打ち倒した。新羅は念願の三国統一を達成。しかし、半島の平和は依然予断を許さない状況であった。同盟国であった唐との争い。そして海からは倭兵の進入の恐れもあった。国の行く末を案ずる文武王は、生前ことあるたびにこう語っていたという。
「死後、わが身は願わくば護国の大竜となり、仏法を崇めいただいて、この国を守護していたいものだ。」(三国遺事)
また文武王は次のような遺言を残した。
「いたずらに私財を費やし人力を使っても。幽魂を救うわけではない。立派な葬儀は私の楽しみとすることではない。息をひきとってから10日ののちに、西国の方式で火葬を行いなさい。喪の制度もつとめて質素にしなさい。」(三国史記)
陵墓を築かないことも、遺骸を火葬にすることも、当時としてはたいへん異例のことだった。死してなお国を守りたい。民を思う文武王の人柄がそこからは窺われる。
681年の秋に文武王は亡くなった。群臣たちはその遺言に則って、文武王を東海の浜辺近くにある大石の上に葬ったという。やがて王は生前の言葉通り、龍に化したと伝え残されている。王の化身である龍の姿が見られたところは利見台と呼ばれ、そこからは現在も大王陵の全景を真正面に望むことができる。
<参考文献>
金富軾編、井上秀雄訳、『三国史記』、平凡社、1980年
三品彰英撰、『三国遺事考証
中』、塙書房、1979年
http://srd.yahoo.co.jp/PAGE=P/LOC=P/R=5/*-http://www.pusannavi.com/area/miru.html?id=89古代の文武王墓の方が現代の文武大王艦より攻撃には強そう。少なくとも撃沈される事はない。マンギョンボウを改造したような船体ですね。こんなヨタ船に大王の名を付けるアッチの方々の感覚もアッパレ。
自国の古代の国王の紹介に日本の文献を引用するのもまたアッパレ。
これは メッセージ 1 (mitokoumon_2002 さん)への返信です.
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