小泉首相の訪朝と課題について☆☆☆☆☆

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>何故対日石油禁輸が行われたのか

投稿者: kesuponnji 投稿日時: 2002/10/28 00:51 投稿番号: [14950 / 232612]

参考まで、以下に文献を引用します   :



【道義的輸出禁止令】

1939年   (昭和14年)   12月20日、アメリカ政府は   「ソビエトのフィンランドの一般市民への空襲に対する合衆国興論の憤激(ふんげき)」   を理由として   「正当な理由なくして空中より市民を爆撃し、あるいは機関銃を以って攻撃する国家に対して、高級揮発油の製造に必要な装置、製造権および技術的知識の輸出を道義的に禁止する」、すなわち道義的禁輸   (モーラル・エンバーゴ)   を正式に公布した。

この禁輸の狙いは、ソビエトよりも日本    ・・・・・    中国大陸侵略をとめどなく拡大していた日本にあった。

当時わが国では、この禁輸は   「対日石油圧迫」   の公然たる発動とうけとめられた。

ここに言う   ”高級揮発油”   とはオクタン価の高いガソリンを指す。

当時アメリカでは、すでに100オクタン価ガソリンの   「生産過剰傾向」   が報じられていた。

”1938年   (昭和13年)   現在、100オクタン価ガソリン製造能力は2億7000万ガロン、1940年末までに3億3000万ガロン、当時の建造計画が続行されるならば、1941年   (昭和16年)   には4億1000万ガロンに達すると予想されていた。

100オクタン価航空ガソリンの生産量が航空機需要を超過すると普通の自動車ガソリンに混合され、そのオクタン価引き上げに使われた。

過去1年間に、100オクタン価航空ガソリン製造設備の増大によって、自動車用プレミアム・ガソリンの価格は1ガロン3.5〜4セント下落した”   (「石油時報」   昭和15年4月号62−3頁)。

そして当時は、100オクタン価航空ガソリン製造の中心的方法はフードリー式接触分解方であった。

昭和14年に航空ガソリン製造を目的として設立された東亜燃料工業は、このフードリー法のわが国への導入に努力していたが、道義的禁輸令の公布によって、契約締結寸前に阻止された。

第二次大戦中、わが国で製造された航空ガソリンの最高は92オクタン価であり、遂に100オクタン価を製造することができなかった   (オクタン価が高いほど航空機の戦闘能力は向上する)。

本報告が報じているように、徳山第3海軍燃料廠(しょう)で、ごく少量が生産されたにすぎなかった。
 


『日本における戦争と石油   アメリカ合衆国戦略爆撃調査団・石油・化学部報告書(昭和21年作成)』   石油評論社刊、新評論発売、1986年、p.15より引用
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