「高句麗王朝」
投稿者: hangyosyufu 投稿日時: 2004/08/22 22:11 投稿番号: [148511 / 232612]
古代「高句麗王朝」がいずれの国家に帰属するかについて、中国と韓国(北朝鮮)ともに奇妙な論争になっています。
もとを糾せば「高句麗」は満州族(女真族)の一族である扶余国王の系統によって東満州に建設されたレッキとした満州族の国家です(実は百済王も扶余族の末裔です)。
ところが中国の主張では、高句麗を満州を拠点とする”中国の地方政権”の諸国家の1つであり、半島北部にも進出したとし、元から朝鮮族の国家であったとする考えを否定している。
一方、中国の主張は嘗て強盛を誇った高句麗を、同一民族と見なす雄大なロマンを包含する朝鮮史観を真っ向から否定するものであり、朝鮮人特有の激烈な憤激を引き起こしている。
しかし歴史的事実からみると半島の主要部である平壌・京城(ソウル)の一帯は楽浪郡・帯方郡という漢の支配下にあった訳で、韓民族の基幹を構成する馬韓(百済)・辰韓(新羅)・弁韓(任那)は僅か半島の南・東端を占めていたに過ぎません。
高句麗は後漢末から3国争乱に乗じて、西は遼河を超えて現在の満州の大部分を支配下におさめ、東は大同江を超えて新羅・百済および倭と境界までその版図を拡大した。
しかし後に”隋”が中原を統一すると、3度にわたる高句麗遠征を行っていますが失敗した。そこで”唐”は単独での高句麗征服を止め、新羅と組んで東西から挟み撃ちをしたために、さしも強勢を誇った高句麗王朝も滅亡した。
結局、新羅が高句麗の鴨緑江以東を併合し、半島を統一した訳です。このことは韓民族が満州族の駆逐をした訳であって、決して朝鮮人が考えているように新羅・百済・高句麗という同一民族の3カ国が合体した訳でないです。
これは メッセージ 1 (mitokoumon_2002 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143583/beaec0tbcsaja4nkacdaba4h2ddbja4ka4da4a4a4fa1ya1ya1ya1ya1y_1/148511.html