アテネ五輪の韓国人役員・審判って…
投稿者: rachi_yamero 投稿日時: 2004/08/16 15:40 投稿番号: [147874 / 232612]
大会役員や審判が公正中立であるべきという考え方は韓国人にはないらしい。
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http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2004/08/15/20040815000017.html
ホーム > スポーツ > 2004アテネオリンピック 記事入力 : 2004/08/15 16:03
五輪組織委が突然の韓国系ギリシャ人職員解雇
アテネ五輪組織委員会がサッカー韓国五輪代表の連絡官として働き韓国側の立場を代弁していた韓国系ギリシャ人大学生を突然解雇し顰蹙(ひんしゅく)をかっている。
組織委員会側は韓国系ギリシャ人大学生のイ・ジノクさんを13日(韓国時間)、突然解雇しIDカードと組織委員会ユニフォームを没収した。組織委員会関係者はイさんの解雇理由を明らかにすべきという韓国選手団の要請に、「連絡官は組織委員会が採用した職員であるため解雇理由について話すことはない」という言葉のみを繰り返し、「後任者は今日の夜までに選び派遣したい」と答えている。
金鎬坤(キム・ホゴン)監督はこれについて、「イ・ジノクさんは6月初めの組分け抽選に出席するためギリシャに来た時に会った韓国系ギリシャ人大学生だが、サッカーに関心が高くギリシャ語が流暢でサッカー協会を通じ特別に連絡官として採用させた」としながら、「若い上に愛国心にも溢れるイさんが逐一韓国の立場を代弁していたため、組織委員会がイさんに腹を立てたようだ」と話した。
韓国選手団は解雇直後、組織委員会側に再度イさんが連絡官として働けるように要請したが、まだ回答がない状態だ。
『スポーツ朝鮮/テッサロニキ特別取材班』
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http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2004/08/16/20040816000021.html
ホーム > スポーツ > 2004アテネオリンピック 記事入力 : 2004/08/16 10:54
柔道男子60キロ級で審判デビューを飾った金美廷
「目の前が真っ暗でした」
14日、柔道の競技が行なわれたアノリオシア・ホールで、私は初出場の選手が試合に臨むような気持ちだった。
道着ではなく審判服を着てマットの上に立つことが、これほど緊張するとは思わなかった。審判資格を取得してから2回の国際大会で経験を積んだが、何の役にも立たなかった。
92年バルセロナ五輪で金メダルを獲得した私だが、審判として再び五輪デビューを飾ることになり、とても緊張したようだ。
その上、私はアテネ五輪の審判24人の紅一点で、プレッシャーも大きかった。
私が五輪で主審デビューを飾ったのは男子60キロ級3回戦の野村(日本)の試合だった。その時点ではまだ韓国の崔敏浩(チェ・ミンホ)が勝ち進んでいたため、「どうして韓国の金メダルのライバルの試合なのか…」と心の中でつぶやいた。
そのため、野村が開始57秒で一本勝ちした瞬間、右腕を上に上げたくなかったというのが私の正直な心情だった。それは私の極めて人間的な部分に過ぎず、無意識のうちに私の右腕は野村の勝利を宣言していた。
しかし崔敏浩が4回戦で敗退すると、2回目の主審の試合はまたも野村の4回戦だった。その時は「どうせならアジアに勝ち上がってほしい」と考えた。
緊張はしたが、それまでに紆余曲折を経ただけに、価値ある体験だった。パソコン抽選で審判を決定する際、主催側が私の名前を入れなかったため、しばらく順番が回ってこなかったのだ。後になってミスが発見されたからよかったが、ともすれば「夢」が実現せずに終わるところだった。
それでも審判評価で高得点をもらい、3位決定戦まで審判することができた。KBSテレビの解説者席で見守っていた夫(金炳周(キム・ビョンジュ/37/89年世界選手権王者)の前で審判デビューを飾ることができ、とても満足している。
あとは3人の子どもの母親に戻るだけだ。
『スポーツ朝鮮/アテネ=金美廷(キム・ミジョン/34/柔道国際審判)』
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五輪組織委が突然の韓国系ギリシャ人職員解雇
アテネ五輪組織委員会がサッカー韓国五輪代表の連絡官として働き韓国側の立場を代弁していた韓国系ギリシャ人大学生を突然解雇し顰蹙(ひんしゅく)をかっている。
組織委員会側は韓国系ギリシャ人大学生のイ・ジノクさんを13日(韓国時間)、突然解雇しIDカードと組織委員会ユニフォームを没収した。組織委員会関係者はイさんの解雇理由を明らかにすべきという韓国選手団の要請に、「連絡官は組織委員会が採用した職員であるため解雇理由について話すことはない」という言葉のみを繰り返し、「後任者は今日の夜までに選び派遣したい」と答えている。
金鎬坤(キム・ホゴン)監督はこれについて、「イ・ジノクさんは6月初めの組分け抽選に出席するためギリシャに来た時に会った韓国系ギリシャ人大学生だが、サッカーに関心が高くギリシャ語が流暢でサッカー協会を通じ特別に連絡官として採用させた」としながら、「若い上に愛国心にも溢れるイさんが逐一韓国の立場を代弁していたため、組織委員会がイさんに腹を立てたようだ」と話した。
韓国選手団は解雇直後、組織委員会側に再度イさんが連絡官として働けるように要請したが、まだ回答がない状態だ。
『スポーツ朝鮮/テッサロニキ特別取材班』
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柔道男子60キロ級で審判デビューを飾った金美廷
「目の前が真っ暗でした」
14日、柔道の競技が行なわれたアノリオシア・ホールで、私は初出場の選手が試合に臨むような気持ちだった。
道着ではなく審判服を着てマットの上に立つことが、これほど緊張するとは思わなかった。審判資格を取得してから2回の国際大会で経験を積んだが、何の役にも立たなかった。
92年バルセロナ五輪で金メダルを獲得した私だが、審判として再び五輪デビューを飾ることになり、とても緊張したようだ。
その上、私はアテネ五輪の審判24人の紅一点で、プレッシャーも大きかった。
私が五輪で主審デビューを飾ったのは男子60キロ級3回戦の野村(日本)の試合だった。その時点ではまだ韓国の崔敏浩(チェ・ミンホ)が勝ち進んでいたため、「どうして韓国の金メダルのライバルの試合なのか…」と心の中でつぶやいた。
そのため、野村が開始57秒で一本勝ちした瞬間、右腕を上に上げたくなかったというのが私の正直な心情だった。それは私の極めて人間的な部分に過ぎず、無意識のうちに私の右腕は野村の勝利を宣言していた。
しかし崔敏浩が4回戦で敗退すると、2回目の主審の試合はまたも野村の4回戦だった。その時は「どうせならアジアに勝ち上がってほしい」と考えた。
緊張はしたが、それまでに紆余曲折を経ただけに、価値ある体験だった。パソコン抽選で審判を決定する際、主催側が私の名前を入れなかったため、しばらく順番が回ってこなかったのだ。後になってミスが発見されたからよかったが、ともすれば「夢」が実現せずに終わるところだった。
それでも審判評価で高得点をもらい、3位決定戦まで審判することができた。KBSテレビの解説者席で見守っていた夫(金炳周(キム・ビョンジュ/37/89年世界選手権王者)の前で審判デビューを飾ることができ、とても満足している。
あとは3人の子どもの母親に戻るだけだ。
『スポーツ朝鮮/アテネ=金美廷(キム・ミジョン/34/柔道国際審判)』
これは メッセージ 1 (mitokoumon_2002 さん)への返信です.