>>昨日の藤沢集会
投稿者: aoinomama13 投稿日時: 2004/07/28 08:19 投稿番号: [145306 / 232612]
>7月24日の「拉致被害者と家族の人権を考える市民集会(藤沢)」に、特定失踪者「高野清文さん」のご家族と一緒に、署名活動・書籍販売・清文さんのお母さんがわが子の無事と再会を祈りながら編んだ「アクリルたわし」の販売(収益金は調査会に寄付)のお手伝いをしました。
この日に参加された皆さんの中には、5月29・30日の藤沢の市民パネル展に来場された方々がいらっしゃいました。覚えていてくださって、多くの方に声をかけていただいた上に、署名も何度もしてくださった方もいました。
電脳補完録さんが、地村保さんの講演の文字起こしをしています。
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福井県の小浜からやってまいりました地村でございます。
私は皆さんのような難しいお話は出来ないんで、私のやってきたこと、23年間やってきたことをそのまま言うだけの話しで、チラシに書いてあるような講演というような実りのある話しではないんでございます。皆さんもあくびをさせないよう私のやってきたことだけど聞いていただきたいと思います。
うちの息子達が昭和53年の7月7日に拉致をされて、その当時は北朝鮮が関与した拉致というようなことは全然思いもよらなかったんです。ただ事故かなぁと思って、福井県内をずっと海岸淵とか京都との境まで、ずっと、3月くらいは探しに行っておったんですけども。事故の形跡もないもんだから、ちょうどその頃、日本海近海に不審船が出ておる、そして工作員が日本に上陸して暗躍をしているような産経新聞の記事を見まして、3月ほどの間、事故やないかと思いまして、探してまいりましたけども、駐在所にいってもそういうような事故の報告がない、いうことで、これはもう外国の、その当時は北朝鮮と言わずに不審船と言ってましたけども、段々、新聞を見ていますと、北朝鮮の工作船ということで、私はもうこれはてっきり北朝鮮の関与した事件やと、私なりにそう確信しました。
息子は非常に強く育てたつもりですから、どっかで生きてるということを信じておりました。どっかで生きてるという信念で、これは助けてやらなくてはいかん、と思ってずっと23年間、生死もわからなかったけれども、息子を信じておりました。だから、23年目に、皆さんのお陰で、また皆さんの協力をいただいて、23年目に息子が帰りました。本当にありがとうございました。
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これは メッセージ 145073 (aoinomama13 さん)への返信です.
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