皇室の継承者問題
投稿者: mutekinozerosen 投稿日時: 2004/07/01 23:59 投稿番号: [140913 / 232612]
※皇位継承権者について論考したページがありましたのでご紹介します。敗戦後の11宮家の離脱、女性皇位継承者など現在の問題のありかがわかります。
皇室の後継者問題について
皇室の後継者問題、こう聞いてどのような事態が頭に浮かぶでしょうか?
簡単にまとめてしまうと、現在の皇室典範において皇位継承者は皇統に属する嫡出の男系男子とされているため、このままだと今上天皇、皇太子、秋篠宮と継承された後の皇位継承者が存在しない状態になってしまうということです。
この事態は90年代後半に一般に認知されはじめましたが、潜在的危険は戦後まもなくに生じたものと言えます。
戦後の皇室の変化と言えば、政治的な事柄を除けば皇室典範の改正がありましたが、これは既に皇室においても慣習となっていた一夫一婦制を確立し、庶子の継承権を否定するもので、これだけでは実質的には大きな変化はありませんでした。
むしろ、今日の後継者問題の原因は同時期に行われた11宮家の皇籍離脱でした。(明治維新後に伏見宮家を源流として成立していった傍系皇族は、この時点で11の宮家を構成していました。)
この結果、皇室典範の改正により庶子が否定され、女子と女系の継承も改めて否定されたことと併せて、皇位継承者は庶子及び多数の傍系皇族という広い範囲から、大正天皇の嫡出の男系男子という少数に限定されてしまいました。
上記のように皇族数が大幅に減少した以上、皇位継承者の減少への対処規定が皇室典範におかれるのが自然なはずですが、わが国においては皇位継承権は皇族にあり、皇族は皇室を離れた場合は復帰できないという原則があったためか、この規定は設けられませんでした。
当時、この問題点は指摘されたものの今上天皇を筆頭とした複数の男子の存在のためか、あまり重要視されたかったようです。
しかし、この皇室典範の重大な欠落により、今日の問題が生じてしまいました。
現在、皇室には上記のように秋篠宮以降の男子誕生はなく,今上天皇の皇孫世代の皇位継承権者が不在です。
そして、これから男子の誕生が期待できる皇族妃は高齢出産を考慮に入れても皇太子妃と秋篠宮妃のみです。
(厳密には,独身である桂宮の結婚,男性皇族が独身となった場合の再婚等によって,男子を産むことが可能な皇族妃が増える可能性はある。)
このことを踏まえて、私なりに皇室の後継者問題を書いてきたいと思います。
http://www1.ncv.ne.jp/~amu/page016.html
※江戸時代男子皇統が絶えかけ、皇位継承が緊急の課題となったとき、実は「最後の女性天皇」とされる後桜町天皇が「国母」と呼ばれる大事な働きをされました。その際皇位を継がれた光格天皇が現在の皇室の祖にあたる方です。
上皇は桃園天皇の女御であり後桃園天皇の皇太后である一条富子と協議し、上皇の再従弟である閑院宮家の祐宮を選び、この傍系からの継承という弱い立場にある天皇の立場を強めるため、祐宮を後桃園天皇の女御である近衛維子の養子とし、後には後桃園天皇の遺児であり皇統の継承者である欣子内親王を立后させ中宮としました。
この時に即位した祐宮が現在の皇統の祖となる光格天皇となります。
光格天皇は朝権再興の中核となる英明な君主と言われていますが、その天皇を即位させ育てあげたのは後桜町天皇でした。
光格天皇は即位時に9歳であり、皇嗣としての教育を受けずに皇位についたことから、上皇は甥の後桃園天皇にしたように、その訓導には非常に熱心でした。
若き天皇が実父の閑院宮に上皇の尊号を贈ろうとした「尊号事件」においては、朝幕関係の悪化を避けるため「御代長久が第一の孝行」と諌め、その後も即位20年後の30歳近い天皇に対しても教訓を与えたそうです。(ちなみに、天皇は上皇の仰せの通り〜と返書をしたそうで、非常に我の強い面のあった天皇がとった恭しい態度は、天皇と上皇を絆を感じさせます。)
残念ながら、上皇が願った光格天皇と欣子内親王の男子への皇位継承による正統な皇統の復活はなりませんでしたが、上皇は現在に至る皇統の成立に多大な貢献をした、まさに「国母」となりました。
http://www1.ncv.ne.jp/~amu/page017.html
http://www1.ncv.ne.jp/~amu/page015.html
皇室の後継者問題について
皇室の後継者問題、こう聞いてどのような事態が頭に浮かぶでしょうか?
簡単にまとめてしまうと、現在の皇室典範において皇位継承者は皇統に属する嫡出の男系男子とされているため、このままだと今上天皇、皇太子、秋篠宮と継承された後の皇位継承者が存在しない状態になってしまうということです。
この事態は90年代後半に一般に認知されはじめましたが、潜在的危険は戦後まもなくに生じたものと言えます。
戦後の皇室の変化と言えば、政治的な事柄を除けば皇室典範の改正がありましたが、これは既に皇室においても慣習となっていた一夫一婦制を確立し、庶子の継承権を否定するもので、これだけでは実質的には大きな変化はありませんでした。
むしろ、今日の後継者問題の原因は同時期に行われた11宮家の皇籍離脱でした。(明治維新後に伏見宮家を源流として成立していった傍系皇族は、この時点で11の宮家を構成していました。)
この結果、皇室典範の改正により庶子が否定され、女子と女系の継承も改めて否定されたことと併せて、皇位継承者は庶子及び多数の傍系皇族という広い範囲から、大正天皇の嫡出の男系男子という少数に限定されてしまいました。
上記のように皇族数が大幅に減少した以上、皇位継承者の減少への対処規定が皇室典範におかれるのが自然なはずですが、わが国においては皇位継承権は皇族にあり、皇族は皇室を離れた場合は復帰できないという原則があったためか、この規定は設けられませんでした。
当時、この問題点は指摘されたものの今上天皇を筆頭とした複数の男子の存在のためか、あまり重要視されたかったようです。
しかし、この皇室典範の重大な欠落により、今日の問題が生じてしまいました。
現在、皇室には上記のように秋篠宮以降の男子誕生はなく,今上天皇の皇孫世代の皇位継承権者が不在です。
そして、これから男子の誕生が期待できる皇族妃は高齢出産を考慮に入れても皇太子妃と秋篠宮妃のみです。
(厳密には,独身である桂宮の結婚,男性皇族が独身となった場合の再婚等によって,男子を産むことが可能な皇族妃が増える可能性はある。)
このことを踏まえて、私なりに皇室の後継者問題を書いてきたいと思います。
http://www1.ncv.ne.jp/~amu/page016.html
※江戸時代男子皇統が絶えかけ、皇位継承が緊急の課題となったとき、実は「最後の女性天皇」とされる後桜町天皇が「国母」と呼ばれる大事な働きをされました。その際皇位を継がれた光格天皇が現在の皇室の祖にあたる方です。
上皇は桃園天皇の女御であり後桃園天皇の皇太后である一条富子と協議し、上皇の再従弟である閑院宮家の祐宮を選び、この傍系からの継承という弱い立場にある天皇の立場を強めるため、祐宮を後桃園天皇の女御である近衛維子の養子とし、後には後桃園天皇の遺児であり皇統の継承者である欣子内親王を立后させ中宮としました。
この時に即位した祐宮が現在の皇統の祖となる光格天皇となります。
光格天皇は朝権再興の中核となる英明な君主と言われていますが、その天皇を即位させ育てあげたのは後桜町天皇でした。
光格天皇は即位時に9歳であり、皇嗣としての教育を受けずに皇位についたことから、上皇は甥の後桃園天皇にしたように、その訓導には非常に熱心でした。
若き天皇が実父の閑院宮に上皇の尊号を贈ろうとした「尊号事件」においては、朝幕関係の悪化を避けるため「御代長久が第一の孝行」と諌め、その後も即位20年後の30歳近い天皇に対しても教訓を与えたそうです。(ちなみに、天皇は上皇の仰せの通り〜と返書をしたそうで、非常に我の強い面のあった天皇がとった恭しい態度は、天皇と上皇を絆を感じさせます。)
残念ながら、上皇が願った光格天皇と欣子内親王の男子への皇位継承による正統な皇統の復活はなりませんでしたが、上皇は現在に至る皇統の成立に多大な貢献をした、まさに「国母」となりました。
http://www1.ncv.ne.jp/~amu/page017.html
http://www1.ncv.ne.jp/~amu/page015.html
これは メッセージ 1 (mitokoumon_2002 さん)への返信です.