沖縄慰霊の日を前に
投稿者: mutekinozerosen 投稿日時: 2004/06/22 22:46 投稿番号: [139644 / 232612]
戦艦大和の死者ら185人、沖縄「平和の礎」に刻銘
太平洋戦争末期の1945年4月、沖縄戦への途上で撃沈された戦艦大和の艦隊の戦没者3721人のうち185人の名前が今年、初めて沖縄県糸満(いとまん)市摩文仁(まぶに)の「平和の礎(いしじ)」に刻銘された。太平洋戦争史で、現在も広く知られる大和だが、年々少なくなる生存者は、「平和を尊ぶきっかけに」と祈り、文集編集も始まっている。
世界最大最強、連合艦隊旗艦として戦歴を重ねた大和は沖縄参戦のため、10隻の艦隊で沖縄へ向かったが、4月7日、アメリカの雷爆撃によって沈没した。
沖縄地上戦は、大和沈没から約2か月半後の6月23日、事実上終結したとされる。その犠牲者は、約20万人といわれる。
95年から始まった刻銘。県関係者は被爆者ら幅広く含めていたが、県外者は沖縄地上戦の戦死者に限っていた。しかし遺族団体などからの要望で昨年、沖縄戦に関連する犠牲者にも枠を広げたため今年から大和なども対象になり、遺族から申請があった人たちの名前が刻まれた。
「刻銘はありがたいことだ」。大和の乗員と遺族らで構成する「戦艦大和慰霊碑世話人会」の石田直義さん(87)(広島県)は言う。「若い人たちは、平和、平和と繰り返すが、現在の平和は数多くの尊い犠牲の上に成り立っている」。大和に最後まで残り、救出された石田さんは、刻銘をきっかけに、若い世代に「2度と戦争をしない思いを深めて欲しい」と切望する。
石田さんによると、大和の生存者は276人だったが、半世紀がたち、各地の組織も自然消滅したかたちという。「連絡も取れなくなっている。存命は50人くらいか…」。同会の会員は現在約150人だが、元乗組員は10人余という。
同会代表の高本廣登(ひろと)さん(78)(広島市)も撃沈後に救出された。「犠牲者のほとんどが、1等兵、兵長といった水兵さん。10代も半ば、遺書すら書けず死んでいったと思う」と話し、生き延びた者の伝言にしようと、文集を編集している。すでに50編ほど集まり、来春にはまとめるという。
県によると、礎の刻銘数は大和などを含め672人が加わり、今年で23万9092人になる。大和の艦隊の戦没者は3721人にのぼり、大和2740人、軽巡洋艦矢矧(やはぎ)446人などとなっている。来年以降も、遺族から申請があれば刻銘するという。
◇
23日は、平和を誓う「慰霊の日」。摩文仁の平和祈念公園では、小泉首相も出席し、「沖縄全戦没者追悼式」が営まれる。
(2004/6/22/21:36 読売新聞 無断転載禁止)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20040622i512.htm
「二度と戦争をしない思いを深めること」は大切です。しかしなぜあのような戦争に突入したかを考えることは更に大切です。外国人から押し付けられた見方を鵜呑みするのはでなく、日本人が自らの頭で考えなければなりません。そのためのヒントはたくさんあるはずです。
太平洋戦争末期の1945年4月、沖縄戦への途上で撃沈された戦艦大和の艦隊の戦没者3721人のうち185人の名前が今年、初めて沖縄県糸満(いとまん)市摩文仁(まぶに)の「平和の礎(いしじ)」に刻銘された。太平洋戦争史で、現在も広く知られる大和だが、年々少なくなる生存者は、「平和を尊ぶきっかけに」と祈り、文集編集も始まっている。
世界最大最強、連合艦隊旗艦として戦歴を重ねた大和は沖縄参戦のため、10隻の艦隊で沖縄へ向かったが、4月7日、アメリカの雷爆撃によって沈没した。
沖縄地上戦は、大和沈没から約2か月半後の6月23日、事実上終結したとされる。その犠牲者は、約20万人といわれる。
95年から始まった刻銘。県関係者は被爆者ら幅広く含めていたが、県外者は沖縄地上戦の戦死者に限っていた。しかし遺族団体などからの要望で昨年、沖縄戦に関連する犠牲者にも枠を広げたため今年から大和なども対象になり、遺族から申請があった人たちの名前が刻まれた。
「刻銘はありがたいことだ」。大和の乗員と遺族らで構成する「戦艦大和慰霊碑世話人会」の石田直義さん(87)(広島県)は言う。「若い人たちは、平和、平和と繰り返すが、現在の平和は数多くの尊い犠牲の上に成り立っている」。大和に最後まで残り、救出された石田さんは、刻銘をきっかけに、若い世代に「2度と戦争をしない思いを深めて欲しい」と切望する。
石田さんによると、大和の生存者は276人だったが、半世紀がたち、各地の組織も自然消滅したかたちという。「連絡も取れなくなっている。存命は50人くらいか…」。同会の会員は現在約150人だが、元乗組員は10人余という。
同会代表の高本廣登(ひろと)さん(78)(広島市)も撃沈後に救出された。「犠牲者のほとんどが、1等兵、兵長といった水兵さん。10代も半ば、遺書すら書けず死んでいったと思う」と話し、生き延びた者の伝言にしようと、文集を編集している。すでに50編ほど集まり、来春にはまとめるという。
県によると、礎の刻銘数は大和などを含め672人が加わり、今年で23万9092人になる。大和の艦隊の戦没者は3721人にのぼり、大和2740人、軽巡洋艦矢矧(やはぎ)446人などとなっている。来年以降も、遺族から申請があれば刻銘するという。
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23日は、平和を誓う「慰霊の日」。摩文仁の平和祈念公園では、小泉首相も出席し、「沖縄全戦没者追悼式」が営まれる。
(2004/6/22/21:36 読売新聞 無断転載禁止)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20040622i512.htm
「二度と戦争をしない思いを深めること」は大切です。しかしなぜあのような戦争に突入したかを考えることは更に大切です。外国人から押し付けられた見方を鵜呑みするのはでなく、日本人が自らの頭で考えなければなりません。そのためのヒントはたくさんあるはずです。
これは メッセージ 1 (mitokoumon_2002 さん)への返信です.