参考:00年の日本米支援:50万トン
投稿者: sofiansky2003 投稿日時: 2004/06/06 21:43 投稿番号: [136164 / 232612]
古い記事ですが、00年の日本の米支援の雰囲気。
日本の政策が数年後に評価が変ってしまうサンプルですね。
さて、今回の食糧支援は25万トンは?
ところで、毎日新聞Webは今年4月から紙面構成が変ってしまい、過去の記事はたどれなくなったようです(残念)。
これはたまたま保管しておいたものです。
/////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////
北朝鮮・拉致事件/6 農水族主導のコメ支援
◇「人道が大事と言えばいいんだな」
◇米価心配、「拉致は後回し」−−国連要請「渡りに船」と
「午後の外交部会に出てコメ支援は大事だと、ぶってくれ。タイミングを見て、おれも発言するからよ」
00年10月4日昼、自民党本部。総務局長(当時)の鈴木宗男衆院議員は、同じ農水族の松岡利勝衆院議員に電話で「若いのを5、6人集めてくれ」と頼んだ。駆けつけた松岡議員は「分かってる。人道が大事だと言えばいいんだな」と応じた。
この朝、自民党外交3部会の合同幹部会議が開かれ、「国交正常化交渉のステップのため、北朝鮮にコメ50万トンを追加支援したい」という森喜朗首相(当時)の意向が示された。国連機関が要請した約20万トンを大幅に超える。賛成派の鈴木議員らと、「拉致問題の解決が先」と主張する平沢勝栄衆院議員らの対立はピークを迎えていた。
外交部会は荒れた。鈴木議員を支える「ムネムネ会」の若手議員たちが「コメが余っているんだ」「農家を助けろ」とまくし立てる。その秋、コメは3年ぶりの豊作で、政府・与党は在庫米の増加による米価の下落を心配した。平沢議員は「これは農業問題じゃない」と反論したが、通らなかった。
平沢議員は「それまで拉致の『ら』の字も言わなかった鈴木さんが動いたのはおかしい」と言う。鈴木議員の後見人で、コメ支援に積極的だった当時の野中広務幹事長は18日夜、取材に「農林関係の人たちが考えてやったことだ。国連機関の要請があったし、(北朝鮮の)飢饉(ききん)もあったので、私も良かれと思った」と語った。
00年初め、外交部会長だった原田義昭衆院議員は、いら立っていた。コメ支援の方針を外務省が一切報告してこない。槙田邦彦アジア局長(当時)を呼んでも「何も決まっていません」の一点張りだった。「私が反対だったからだろうが、ひどい秘密主義を通された。気がつくと(コメ支援の)雰囲気が作られていた」
当時の山本一太外務政務次官は「コメで正常化の糸口をつかみ、拉致は後回しにする声が外務省には多かった」と説明する。
コメ支援を推進する槙田局長は10月4日の外交部会に出席した後、党本部の玄関で待ち受けた被害者の家族会と「救う会」に「恥ずかしくないのか」と抗議を浴びた。「何ら恥ずかしいことはしていない。もうあいつらとは会わん」。声が震えていた。
50万トンは安い外国米ではなく、政府が1000億円を超える財政負担で買い上げた国産の在庫米から振り向けられた。農水族の岸宏一参院議員は「コメ支援は渡りに船という受け止め方だった」と振り返る。
昨年9月、政府・自民党の調査団は、コメが末端まで行き渡っているか視察するため訪朝した。だが、北朝鮮側に「飛び込みはやめてほしい」とくぎを刺され、おぜん立てされた民家や保育園しか回れなかった。=つづく
◇コメ支援
北朝鮮の深刻な食糧不足に対応するため、95〜00年に6回にわたって1.5万〜50万トンの計約118万トンを送った。当初は両国赤十字を介しコメをやり取りしたが、96年以降は世界食糧計画(WFP)を経由し間接支援の形をとった。外務省は「緊急かつ人道的観点から行う例外措置」としてきたが、国交正常化交渉進展の呼び水にする政治支援の側面を帯びるようになった。
(毎日新聞2002年11月20日東京朝刊から)
日本の政策が数年後に評価が変ってしまうサンプルですね。
さて、今回の食糧支援は25万トンは?
ところで、毎日新聞Webは今年4月から紙面構成が変ってしまい、過去の記事はたどれなくなったようです(残念)。
これはたまたま保管しておいたものです。
/////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////
北朝鮮・拉致事件/6 農水族主導のコメ支援
◇「人道が大事と言えばいいんだな」
◇米価心配、「拉致は後回し」−−国連要請「渡りに船」と
「午後の外交部会に出てコメ支援は大事だと、ぶってくれ。タイミングを見て、おれも発言するからよ」
00年10月4日昼、自民党本部。総務局長(当時)の鈴木宗男衆院議員は、同じ農水族の松岡利勝衆院議員に電話で「若いのを5、6人集めてくれ」と頼んだ。駆けつけた松岡議員は「分かってる。人道が大事だと言えばいいんだな」と応じた。
この朝、自民党外交3部会の合同幹部会議が開かれ、「国交正常化交渉のステップのため、北朝鮮にコメ50万トンを追加支援したい」という森喜朗首相(当時)の意向が示された。国連機関が要請した約20万トンを大幅に超える。賛成派の鈴木議員らと、「拉致問題の解決が先」と主張する平沢勝栄衆院議員らの対立はピークを迎えていた。
外交部会は荒れた。鈴木議員を支える「ムネムネ会」の若手議員たちが「コメが余っているんだ」「農家を助けろ」とまくし立てる。その秋、コメは3年ぶりの豊作で、政府・与党は在庫米の増加による米価の下落を心配した。平沢議員は「これは農業問題じゃない」と反論したが、通らなかった。
平沢議員は「それまで拉致の『ら』の字も言わなかった鈴木さんが動いたのはおかしい」と言う。鈴木議員の後見人で、コメ支援に積極的だった当時の野中広務幹事長は18日夜、取材に「農林関係の人たちが考えてやったことだ。国連機関の要請があったし、(北朝鮮の)飢饉(ききん)もあったので、私も良かれと思った」と語った。
00年初め、外交部会長だった原田義昭衆院議員は、いら立っていた。コメ支援の方針を外務省が一切報告してこない。槙田邦彦アジア局長(当時)を呼んでも「何も決まっていません」の一点張りだった。「私が反対だったからだろうが、ひどい秘密主義を通された。気がつくと(コメ支援の)雰囲気が作られていた」
当時の山本一太外務政務次官は「コメで正常化の糸口をつかみ、拉致は後回しにする声が外務省には多かった」と説明する。
コメ支援を推進する槙田局長は10月4日の外交部会に出席した後、党本部の玄関で待ち受けた被害者の家族会と「救う会」に「恥ずかしくないのか」と抗議を浴びた。「何ら恥ずかしいことはしていない。もうあいつらとは会わん」。声が震えていた。
50万トンは安い外国米ではなく、政府が1000億円を超える財政負担で買い上げた国産の在庫米から振り向けられた。農水族の岸宏一参院議員は「コメ支援は渡りに船という受け止め方だった」と振り返る。
昨年9月、政府・自民党の調査団は、コメが末端まで行き渡っているか視察するため訪朝した。だが、北朝鮮側に「飛び込みはやめてほしい」とくぎを刺され、おぜん立てされた民家や保育園しか回れなかった。=つづく
◇コメ支援
北朝鮮の深刻な食糧不足に対応するため、95〜00年に6回にわたって1.5万〜50万トンの計約118万トンを送った。当初は両国赤十字を介しコメをやり取りしたが、96年以降は世界食糧計画(WFP)を経由し間接支援の形をとった。外務省は「緊急かつ人道的観点から行う例外措置」としてきたが、国交正常化交渉進展の呼び水にする政治支援の側面を帯びるようになった。
(毎日新聞2002年11月20日東京朝刊から)
これは メッセージ 135754 (rachi_yamero さん)への返信です.