神話を歴史と捏造する朝鮮?
投稿者: ahoahoaonecemore80 投稿日時: 2004/06/06 21:12 投稿番号: [136123 / 232612]
金珊湖
第1巻
* 我が民族が住む全世界を朝鮮(チュシン)という。
* 我が民族はパミール高原に源を発して、バイカル湖を経て不咸山に移動、定着した。
不咸山に到着した我々の先祖はそこを中心に集団定着、文化を発達させ、紀元前6000年頃には紅山文明を、続いて黄河文明を起こした。
* 我々の先祖は既に紀元前3898年に倍達国を建て、農耕民族である中華族を制圧し、大帝国を建設していた。
* 倍達国は18代1565年で終わり、その後に続いて檀君朝鮮が建てられた。
* 檀君朝鮮は阿斯達(アサダル)を都邑として帝国を形成、辰朝鮮を中心に馬朝鮮と卞朝鮮の三檀君が広大な地域を分割して治めていた。
* 箕子朝鮮や衛満朝鮮は朝鮮帝国の地方諸侯国だった。したがって、漢武帝の衛満朝鮮征伐は中華族と地方政権との闘争であり、中国の史書が固執しているいわゆる漢四郡は、漢武帝退治に功労が大きかった将軍たちに分封した領地だった。
* 檀君朝鮮が脆弱になると、解慕漱の扶餘と東明王の高句麗を共に継承した高豆莫が諸国を合わせて卒本扶餘を起こした。
* 扶餘が起こるとともに帝国の権威は落ち、地方勢力が成長した。
紀元前3世紀頃には黄河上流に暮らしていた東胡族の一分岐が匈奴に押されて南下、紀元前57年にソウルに定着して国を建てたのだが、これが新羅である。
新羅は以後、馬韓,百済との闘争過程で小白山脈を越えて徐羅伐に移る。
* 紀元前37年には卒本扶餘で育った高朱蒙が扶餘を脱出、卒本地方に至って高句麗を建て、続いて北満州一帯を統一した。
この時、高句麗建国の功臣陜父が日本地域に逃げ、最初の国、多婆羅国を日本地域に建てた。
* 百済は高句麗の建国過程で背信感を感じていた皇妃召西奴とその息子 沸流,温祚が高句麗を脱出、沸流湖地域で独立した国だ。
以後、百済は遼西地域に移ったあと(外百済)、再び忠清南道の牙山地域(目支国)に移った。
この時期に温祚が独立、十済(漢城百済)を建てたのだが、百済の弟国である。
* 牙山に定着した沸流百済は、遼西,山東,日本地域を含んだ広大な海上帝国を建て、各地に担魯(訳注:植民地) を置いて治めた。
* 高句麗の帝国統一によって中央政権から追い出された昔の朝鮮の重臣たちは、新しい根拠地を探して韓半島南部へ押し寄せたのだが、彼らによって6伽耶連盟が成立した。
これは メッセージ 136117 (kisimenjp さん)への返信です.
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