小泉首相の訪朝と課題について☆☆☆☆☆

Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー

[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

>>舞姫の影

投稿者: masa4618 投稿日時: 2004/06/06 18:19 投稿番号: [136057 / 232612]
kitaguniniakogareteさん^^レスありがとうございます。

>私は、日露戦争を『日本民族の最高傑作』と位置付けています。
勿論、重箱の隅をつつけば問題な点もあったでしょう…。

もちろん、わたくし日本人でありますので、日露戦争でのわが国の戦いぶりを誇りに思っております。重箱の隅をつつくという意味で先に投稿をしたわけではありません。

>しかし、一番の問題点は…、日露戦争を冷静に検証しなかった事と考えています。

おっしゃるとおり。日清・日露戦争は連戦連勝であったわけではなく、たくさんの冷静に分析すべき点があり、これがまた日本の将来のためには大切なことかと思います。日中戦争・太平洋戦争では、そのあたりの情報分析、歴史的解析を怠った部分は反省すべきかと。

>「脚気」と言えば…鈴木梅太郎の「オリザニン」を思い出します。

>「ビタミン」の発見より早かった…と記憶しています。

>明治時代の優れた科学者達…、先人の努力に感謝です。


優れた科学者でありました。しかしながらここにも、「森鴎外と高木兼寛」との確執と同じようなレベルのお話が存在します。現在にも通じる不条理かと・・・

鈴木梅太郎は東京大学農学部であったために医学会の壁にぶつかりました。当時の医学界は、世界的に有名な北里柴三郎の破傷風菌や志賀潔の赤痢菌の発見に影響され、細菌学が大はやりで、脚気菌の発見に血眼になっていました。「脚気は脚気菌による伝染病である」という学説にこりかたまっていたのです。

--------------------------------

ビタミン学の起源を開いた影の功労者   鈴木梅太郎
人間の健康維持に不可欠な栄養素「ビタミン」を、世界で初めて発見したのは日本人である。この事実は、あまり知られていない。その世界的発見を成し得た日本人は、27才で農学博士号を授与された農芸化学者であり、大正から昭和初期の三共を支えた偉大な研究者・鈴木梅太郎であった。

1910年(明治43年)、鈴木は日本に蔓延していた脚気の原因が現代のビタミンB1である「オリザニン」不足であることを突き止めた。当時、脚気は脚気衝心という心臓発作を起こし、死を招く危険な病気として恐れられており、その発見は広く歓迎されるはずであった。しかし、当時の日本の医学界は農芸化学者である彼の発見を認めようとしなかったのである。

一方、創業者・塩原又策のベンチャー・スピリットを継承する三共では、研究者の発見・発明を率先して製品化するという姿勢を貫き、1911年(明治44年)、「オリザニン」の発売を開始する。しかし医学界からの逆風は強く、売れ行きの低迷は避けられなかった。

そうした中、イギリスの研究所で「オリザニン」と同じ物質が抽出され、「ビタミン」と命名される。これを機に欧米諸国でビタミン研究が活発になると、日本における鈴木の発見も再評価され始める。そして同時に「オリザニン」の売り上げも順調に伸びていき、「オリザニン」の効果により脚気衝心は急速に減少していったのである。

「国家国民のためになるならば、他の学者がやっていないことは誰がやってもよい、遠慮する必要はない」。後に三共の学術顧問に就任する鈴木は、こう語っている。こうした懐の深さと愛国心は、三共の初代社長であり科学者である高峰譲吉に通じるものがあった。ビタミン学の起源となる「オリザニン」の発見は、こうしたスケールの大きい研究姿勢から生まれたのである。
http://www.sankyo.co.jp/company/profile/history/history06.html
[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Yahoo! Japan 掲示板 アーカイヴ

[検索ページ] (中東) (東亜) (捕鯨 / 捕鯨詳細)