>トピずれ御免を、イチロー月間50安打
投稿者: iam_donald_rumsfeld 投稿日時: 2004/06/01 23:37 投稿番号: [134776 / 232612]
>大リーグでこれほどの記録を立てたイチローはやはり天才ですね。このペースを維持すればほぼ達成できそうですが、大リーグ未踏の4年連続200本安打をぜひ、なしとげてほしい。
彼は天才です。外角を左中間に流し打ちもできますし、ワンバンの球もヒットにしてしまいます。4年連続200本安打は絶対に可能です。
彼は日本の誇りです。
投稿者: iam_donald_rumsfeld (11歳/男性/海外アメリカ?)
でた!朝鮮人得意の屁理屈。
馴れない舞台、見知らぬ相手だと。
イチローなんて【しかもMLBで】一年目に首位打者・盗塁王・MVP・新人王
野茂なんて一年目で奪三振王・新人王
松井(ヤンキース)なんて一年目でチームの打点2位←しかもヤンキースで
長谷川・佐々木、他多数がMLBで大活躍した。
朝鮮人は日本でプレーして悩んでるの??
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イ・スンヨプ
「1年目のジンクス打ち破る!」
「1年目のジンクスは嫌いだ」
避けて通りたかったが、いつの間にか似たような道に入り込んでいた。27日現在、千葉ロッテのイ・スンヨプ(28)は今季36試合に出場し打率2割3分3厘、5本塁打19打点を記録している。11日に2軍落ちして以降、時計が止まっている。
馴れない舞台、見知らぬ相手。
全てが容易ではなかった。準備不足を実感している。
これまで韓国選手は日本進出1年目におしなべて厳しい試練に見舞われた。宣銅烈(ソン・ドンヨル/1996年/中日)、李鍾範(イ・ジョンボム/1998年/中日)、李尚勲(イ・Tンフン/サムソン・リー/1998年/中日)、チョン・ミンテ(2001年/読売)、チョン・ミンチョル(2002年/読売)がそうだった。
1996年に中日のユニフォームに着替えた国宝・宣銅烈も例外ではなかった。シーズン中、2軍落ちを経験し、当時の星野監督から「韓国最高の投手がその程度か」とまで言われるほどだった。結局、宣銅烈は38試合に登板し5勝1敗3セーブ(防御率5.50)を記録し1年目を終えた。
「風の子」李鍾範も状況は似ていた。1998年に67試合に出場し打率2割8分3厘、10本塁打29打点。死球後遺症が足かせとなり特有の思いきりの良い野球を見せられなかった。
李尚勲も11試合に登板し1勝(防御率4.68)のみで、1年目に2軍の冷や飯を経験せざるをえなかった。
チョン・ミンチョルとチョン・ミンテは全く活躍できなかった。チョン・ミンチョルは2000年に4度マウンドに上がるのに留まった。名声に比べ余りにもみすぼらしい成績だった。
それではイ・スンヨプはどのような道を歩むだろうか。
イ・スンヨプは日本入国当初から機会あるごとに先輩たちが経験してきた1年目のジンクスを打ち破ると言ってきた。
2軍落ち後、打撃フォームを変更、そして取り戻した余裕。イ・スンヨプは今、靴を履き替え新たなスタートラインから出発のホイッスルを待っている。
『スポーツ朝鮮/千葉(日本)=ミン・チャンギ特派員』
彼は天才です。外角を左中間に流し打ちもできますし、ワンバンの球もヒットにしてしまいます。4年連続200本安打は絶対に可能です。
彼は日本の誇りです。
投稿者: iam_donald_rumsfeld (11歳/男性/海外アメリカ?)
でた!朝鮮人得意の屁理屈。
馴れない舞台、見知らぬ相手だと。
イチローなんて【しかもMLBで】一年目に首位打者・盗塁王・MVP・新人王
野茂なんて一年目で奪三振王・新人王
松井(ヤンキース)なんて一年目でチームの打点2位←しかもヤンキースで
長谷川・佐々木、他多数がMLBで大活躍した。
朝鮮人は日本でプレーして悩んでるの??
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イ・スンヨプ
「1年目のジンクス打ち破る!」
「1年目のジンクスは嫌いだ」
避けて通りたかったが、いつの間にか似たような道に入り込んでいた。27日現在、千葉ロッテのイ・スンヨプ(28)は今季36試合に出場し打率2割3分3厘、5本塁打19打点を記録している。11日に2軍落ちして以降、時計が止まっている。
馴れない舞台、見知らぬ相手。
全てが容易ではなかった。準備不足を実感している。
これまで韓国選手は日本進出1年目におしなべて厳しい試練に見舞われた。宣銅烈(ソン・ドンヨル/1996年/中日)、李鍾範(イ・ジョンボム/1998年/中日)、李尚勲(イ・Tンフン/サムソン・リー/1998年/中日)、チョン・ミンテ(2001年/読売)、チョン・ミンチョル(2002年/読売)がそうだった。
1996年に中日のユニフォームに着替えた国宝・宣銅烈も例外ではなかった。シーズン中、2軍落ちを経験し、当時の星野監督から「韓国最高の投手がその程度か」とまで言われるほどだった。結局、宣銅烈は38試合に登板し5勝1敗3セーブ(防御率5.50)を記録し1年目を終えた。
「風の子」李鍾範も状況は似ていた。1998年に67試合に出場し打率2割8分3厘、10本塁打29打点。死球後遺症が足かせとなり特有の思いきりの良い野球を見せられなかった。
李尚勲も11試合に登板し1勝(防御率4.68)のみで、1年目に2軍の冷や飯を経験せざるをえなかった。
チョン・ミンチョルとチョン・ミンテは全く活躍できなかった。チョン・ミンチョルは2000年に4度マウンドに上がるのに留まった。名声に比べ余りにもみすぼらしい成績だった。
それではイ・スンヨプはどのような道を歩むだろうか。
イ・スンヨプは日本入国当初から機会あるごとに先輩たちが経験してきた1年目のジンクスを打ち破ると言ってきた。
2軍落ち後、打撃フォームを変更、そして取り戻した余裕。イ・スンヨプは今、靴を履き替え新たなスタートラインから出発のホイッスルを待っている。
『スポーツ朝鮮/千葉(日本)=ミン・チャンギ特派員』
これは メッセージ 134771 (mutekinozerosen さん)への返信です.