日朝国交正常化交渉の経緯①
投稿者: sofiansky2003 投稿日時: 2004/05/18 20:58 投稿番号: [127060 / 232612]
90年の金丸訪朝で、日朝国交正常化の交渉が始まっている。
以下、交渉とはどんなものだったのか(重村智計「北朝鮮の外交戦略」等から引用)。
<第1次日朝国交正常化交渉>
第1回(91年1月:平壌)
日本は「賠償」と「補償」に応じられない。
「戦後45年の償い」の義務もない。−と主張、核査察の受け入れを認めた。
北朝鮮は、日本の公式謝罪と「賠償」「補償」を求めた。
第2回(91年3月:東京)
日本は「北朝鮮の管轄権は南に及ばない」との確認を求め、日韓併合条約の合法・有効性を主張。
北朝鮮は、管轄権確認を拒否。日韓併合条約は武力によるもので、当初から不法・無効であると譲らず。
第3回(91年5月:北京)
北朝鮮、正常化問題と経済・国際問題の切り離しを要求。核問題で交渉が進展しないことを回避しようとの意図とみられる。李恩恵問題を持ち出すのは「侮辱であり、会談破壊行為」と非難した。
日本は、「一括解決」を主張し、李恩恵の消息調査を求めた。
北朝鮮は、李恩恵問題に反発し、次回会談の日程を決めず終了。
第4回(91年8月:北京)
北朝鮮は、実務者協議で李恩恵の調査を拒否、「日本には戦後の償い」があると主張した。
日本は、李恩恵の調査を改めて要求。植民地時代に北朝鮮が北朝鮮が被害にあったり失ったものに関する「請求権」については、被害を裏付ける客観的資料が必要なことを説明した。「戦後の償い」を拒否。
第5回(91年11月:北京)
基本問題(管轄権、過去の条約問題)で突っ込んだ討議を行った。
日本は核問題での日本の安全への強い懸念を表明し、核査察受け入れを求める。
李恩恵問題では、お互いに立場を譲らなかった。
北朝鮮は、日本人妻の消息について回答。
第6回(92年1月:北京)
北朝鮮は、従軍慰安婦問題を持ち出し、日本の謝罪と補償を要求した。
会談は李恩恵問題と核問題の対立で、進展しない状況に。
第7回(92年5月:北京)
日本は、核問題の解決なしには国交正常化の実現は難しいとの立場を改めて伝える。
北朝鮮は、少量のプルトニウムの抽出を認めたが、あくまでも米朝間で解決する問題との原則を譲らず。
第8回(92年11月:北京)
日本は、李恩恵問題に改めて触れ消息調査を依頼しようとしたたが、「李恩恵」ン名前が出ると北朝鮮の代表団は、会談場から退席し会談は中断。
以後会談は再開されなかった。
・97年5月日本政府が横田めぐみさん行方不明事件など7件10人を「北朝鮮による拉致事件」と認定。
・99年村山富市元首相ら超党派訪朝団が朝鮮労働党と交渉再開を発表(99年12月)
<第2次日朝正常化交渉>
第9回(00年4月:平壌)
?
第10回(00年8月:東京・千葉)
?
第11回(00年10月:北京)
「過去の清算」で対立、拉致問題で決裂
これは メッセージ 1 (mitokoumon_2002 さん)への返信です.
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