小倉紀蔵−ルックコリア
投稿者: sofiansky2003 投稿日時: 2004/05/14 05:35 投稿番号: [125459 / 232612]
韓国通の小倉紀蔵が、現在の韓流は、
日本の有史以来3度目の潮流としている。
全然実感も何もないのですが、
かなり無理してサービスしているというか、阿るというか。
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三度目の潮流
日本における最近の韓国ブームは、勢いが止まらない。ただ単に「韓国大好き!」というだけでなく、いろんな側面で「韓国を見習うべきだ」という言説が日本で浮上している。
このような潮流が顕在化したのは、ちょうど2000年の頃であった。その当時から私はこのうねりを、あのマハティール首相の「ルックイースト」に習って、〈ルックコリア〉現象と名づけている。
〈ルックコリア〉というと、われわれには唐突で耳慣れない感じがする。
しかしながら、歴史を大きくふりかえって見れば、実は古来、日本では歴史の節目節目にこれを行なって来たことがわかるであろう。
大きくいえば日本が朝鮮半島に学んだ時期が、これまでに2度あった。
そもそも朝鮮半島は、伝統的に日本よりも早く中華文明を受容し、血肉化した地域であるから、その朝鮮半島に学ぶのは当然のことといえた。アーノルド・トインビーの「文明表」によれば、「朝鮮文明」は世界の24の諸文明のうち、現在も「世界国家の段階」を保持している文明としては、インド文明・中国文明の次に古い文明とされている。ちなみに「日本文明」が「世界国家の段階」に到達したのは、朝鮮文明よりずっと後のことである。
それゆえ日本が「文明化」の段階で〈ルックコリア〉をするのは当然だったといえる。その大きな潮流は、漢字や儒教・仏教文化、暦法・医学・天文などの知識・技術を学んだ国家の黎明期にやってきた。日本の文明的基礎をつくるとき、朝鮮半島から渡って来た多くの知識人(渡来人)の力が必要不可欠だった。古代の国家創成期に日本は、学問・文化・政治面において大々的な〈ルックコリア〉運動を行なったわけである。
具体的な人間群としては、古墳時代における阿知使主(五世紀初め)、王仁(五世紀初め)、弓月君(五世紀初め)がその第一派であり、6世紀の五経博士や易博士、暦博士、医博士などがその第二派であり、飛鳥時代の恵慈(595年来日)、恵聡(575年来日)、観勒(602年来日)、曇徴(610年来日)などがその第3派であった。そのほか朝鮮半島からの渡来人は、日本の黎明期に大きな活躍をした。日本は、これらの当時第一級の知識人を直接の師として、〈ルックコリア〉を展開した。
そして2度目の〈ルックコリア〉は、朱子学を中心とした儒学や陶磁器づくりなどを学んだ16世紀から江戸時代にかけてである。朱子学を学んだことにより、その流れが遠く明治期に儒教的中央集権体制づくりに寄与した。
だから今は、3度目なのである。それゆえこれを、〈3度目のルックコリア〉と呼んでもよいであろう。2度目、3度目の〈ルックコリア〉については、次回以降に述べよう。
http://www.onekoreanews.net/20040428/bunka20040428003.htm
日本の有史以来3度目の潮流としている。
全然実感も何もないのですが、
かなり無理してサービスしているというか、阿るというか。
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三度目の潮流
日本における最近の韓国ブームは、勢いが止まらない。ただ単に「韓国大好き!」というだけでなく、いろんな側面で「韓国を見習うべきだ」という言説が日本で浮上している。
このような潮流が顕在化したのは、ちょうど2000年の頃であった。その当時から私はこのうねりを、あのマハティール首相の「ルックイースト」に習って、〈ルックコリア〉現象と名づけている。
〈ルックコリア〉というと、われわれには唐突で耳慣れない感じがする。
しかしながら、歴史を大きくふりかえって見れば、実は古来、日本では歴史の節目節目にこれを行なって来たことがわかるであろう。
大きくいえば日本が朝鮮半島に学んだ時期が、これまでに2度あった。
そもそも朝鮮半島は、伝統的に日本よりも早く中華文明を受容し、血肉化した地域であるから、その朝鮮半島に学ぶのは当然のことといえた。アーノルド・トインビーの「文明表」によれば、「朝鮮文明」は世界の24の諸文明のうち、現在も「世界国家の段階」を保持している文明としては、インド文明・中国文明の次に古い文明とされている。ちなみに「日本文明」が「世界国家の段階」に到達したのは、朝鮮文明よりずっと後のことである。
それゆえ日本が「文明化」の段階で〈ルックコリア〉をするのは当然だったといえる。その大きな潮流は、漢字や儒教・仏教文化、暦法・医学・天文などの知識・技術を学んだ国家の黎明期にやってきた。日本の文明的基礎をつくるとき、朝鮮半島から渡って来た多くの知識人(渡来人)の力が必要不可欠だった。古代の国家創成期に日本は、学問・文化・政治面において大々的な〈ルックコリア〉運動を行なったわけである。
具体的な人間群としては、古墳時代における阿知使主(五世紀初め)、王仁(五世紀初め)、弓月君(五世紀初め)がその第一派であり、6世紀の五経博士や易博士、暦博士、医博士などがその第二派であり、飛鳥時代の恵慈(595年来日)、恵聡(575年来日)、観勒(602年来日)、曇徴(610年来日)などがその第3派であった。そのほか朝鮮半島からの渡来人は、日本の黎明期に大きな活躍をした。日本は、これらの当時第一級の知識人を直接の師として、〈ルックコリア〉を展開した。
そして2度目の〈ルックコリア〉は、朱子学を中心とした儒学や陶磁器づくりなどを学んだ16世紀から江戸時代にかけてである。朱子学を学んだことにより、その流れが遠く明治期に儒教的中央集権体制づくりに寄与した。
だから今は、3度目なのである。それゆえこれを、〈3度目のルックコリア〉と呼んでもよいであろう。2度目、3度目の〈ルックコリア〉については、次回以降に述べよう。
http://www.onekoreanews.net/20040428/bunka20040428003.htm
これは メッセージ 1 (mitokoumon_2002 さん)への返信です.