>本日は憲法記念日
投稿者: moon_over_moscow2001 投稿日時: 2004/05/03 16:34 投稿番号: [122154 / 232612]
私はイスラム原理主義による自爆テロも神風も否定的であり、
いかなる時でもそのような自爆行為に走るべきではないと
考えているし、それはいつまでも変わらない私の信念であろう。
しかし、当時の英霊達が、まだ見ぬ我々未来の日本人の事を真剣に
考え、「アメリカに侵略されると日本人もハワイ民族やインディアンの様に
自主独立出来ない民族に成り下がってしまう」と言う懸念から、
9分9厘勝ち目のない特攻を選択したわけですが、その信念として
「例えどの様な講和で終戦になろうとも【日本を死守するために自らの身を
犠牲にして戦い、死んで行った若者達が日本にはかつて存在した】」と云う
事実を歴史に残す事により、この先何百年後、何千年後であろうとも
日本民族は必ず再興してくれる、できる筈だと信じて特攻に出て行ったわけですね。
彼らの心遣いを私は素直に有り難いと感謝し、英霊達を誇りに思う。
絶対自爆行為などは認めてはならないし、私はそうしないであろうが、
それとこれは全く切り離すべき事である。
つまり自分の信念とは別にしても、他者が私達の事を思い、善意のもとに
身を犠牲にまでして行ってくれた行為に対して、感謝出来るかどうか?
という問題であろう。私は右翼ではけしてない単なるリアリストであるが、
左翼や似非人権主義者達は、これらの行為を単に「ありがた迷惑」
「余計なお世話」としか認識出来ないのであろう?実に貧しい心ではないか。
これは日常の生活にも反映されるものではないだろうか?人は誰でも
限られた人生という時間の中で生きている。その時間の例え一分でも
私のために時間を配分し、私の事を思い、考えてくれた上での他者から
の好意に対して、その意味を理解し、素直に感謝出来るか?それとも
ありがた迷惑ととるのか?些細な所にも人格は見え隠れするものであろう。
私は宗教による国家統制にも大反対であるが、これもまたそれとは別に
我々の事を思い、人生の前半に若くして自らの身を犠牲にしてまで戦い
亡くなってゆかれた英霊達が信じていた一つの拠り所である靖国神社
においての奉慰。これを守り続けてあげる事は、今の我々が出来る英霊達へ
のせめてもの恩返しではないだろうか?
そしてもう一つ、日本を真の独立国として再興させるという
過去の英霊達と現代の我々日本国民共通願望の実現に向けて努力する
べきでしょう。拉致問題はその第一歩ではないでしょうか。
これは メッセージ 122142 (yamatonadeshikoyo さん)への返信です.
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