小泉首相の訪朝と課題について☆☆☆☆☆

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糞野郎!朝鮮の歴史を知ってるか!

投稿者: habyondana55 投稿日時: 2004/05/01 22:13 投稿番号: [121618 / 232612]
  糞野郎!自分から糞野郎という**!!

>李氏朝鮮王朝の皇太子の李垠の腹違いの妹の李徳恵も
>たしか、日本人と結婚することになっていたらしい

これはちょっと変。
李徳恵(リ・トクヘ)は1912年に、高宗とその後宮の
梁福寧(ヤンボンニョン)との間に生まれた子供。
李徳恵が日本に連れてこられたのは1925年、彼女が13才の時。
たしかに李徳恵自身も日本行きを嫌がっていたであろうが、
父親の高宗にいたっては、彼女の日本行きを阻止するため、
自分の側近である侍従の息子との婚約話まですすめていた。
もちろんこの婚約話は日本側の意向によってなかったことになってしまう。

李徳恵は日本での生活が合わずに、神経衰弱となり、入院をするが、
病状がもちなおした19才の時に宗武宗(対馬藩主の家系)と結婚。

しかし、再び病気が再発。
精神を病んだ妻と別れたかった夫であったが、戦前の皇室典範では
離婚は認められていなかったため、終戦後に離婚。
李徳恵はひきつづき東京で入院生活を送る。

終戦後、李氏王朝の関係者は李方子をはじめとした、王朝関係者の
韓国への帰国を要請しつづけたが、大統領の李承晩はこれを拒否する。
しかし、大統領が朴正煕に変わると、朴大統領はこれを認め、
これによって李垠と李方子は韓国に。
李徳恵も1962年に韓国に帰国したが、結局、彼女の精神の病は死ぬまで
回復することはなかった。
李徳恵が死んだのは1989年。そのすぐあとに李方子も老衰で死亡。




484 名前: ながくてごめん 投稿日: 2000/06/20(火) 20:28

李垠と李方子の間に生まれた最初の子供は病死(?)で死ぬが、
その後、二人の間には男子がうまれ、その子供はMITに留学。
幼少時の李垠は伊藤博文にずいぶんかわいがられたそうだが、
(伊藤の大磯の別荘に李垠を招いて遊んであげたり、なにかの本で、
李垠と伊藤博文が一緒に馬車に乗り、馬に乗っていたのが
大倉財閥の創始者、という豪華なスリーショットの写真を見たことがある。)伊藤博文が死んだ後は、寺島正宗とはソリがあわなかったらしい。

李垠は日本の軍隊のなかで中将の地位(たぶん)まで昇り、
李方子との夫婦仲もよかった。
ただ、戦時中、ソウルに一族の墓参りに訪れた際、車の中で、
冷ややかに見守る民衆に対してずっと敬礼しつづけた彼の心中、
朴大統領によって帰国が認められたとき、既に体調を壊しており、
ソウルに帰っても病院から出ることなく生涯を終えた彼の心中を思うと、
歴史に翻弄される一人の人間の運命ってはかなすぎると思ったりする。
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