北朝鮮工作員の狙撃事件
投稿者: habyondana55 投稿日時: 2004/05/01 22:06 投稿番号: [121615 / 232612]
それはさておき、昭和40年代から50年頃の朝鮮籍に残った鮮人
の話に戻ろうかの。
何度もお話したように、北鮮の実態がはじめの話の楽園とはだいぶ
んに違うようぢゃと仲間内での評判となってからは、実際に北鮮に
渡ろう、帰国しようとするものはほとんどいなくなってしまったの
ぢゃが、まだまだ、社会主義建設中の祖国という夢は捨てきれんで
の、南北が社会主義のもとに統一すれば、いずれは日本よりも豊か
な社会ができるだろう、などと夢を先延ばしする鮮人も少なくはな
かったのぢゃ。
ぢゃがの、現実は厳しいものでの、永住権申請の期限が過ぎたころ
から、先に北鮮に渡った親族から、やれセイコーの時計を100個
送れのペニシリンを1000個送れなどという手紙が舞い込むよう
になったのぢゃよ。
またの、大きな声ではいえんが、北鮮の対南工作員などもこれらの
鮮人を頼ってというか、利用して浸透してきおったがの、ひとつに
は日ごろの主義主張から、もうひとつには人質同様の親族が北鮮に
おることから、なかなか断れんことであったのぢゃろう。
なに、今でもそうぢゃが、日本にはスパイ防止法などないでの、本
物の工作員が捕まっても大した罪にはならず、ちょいと服役した後
に北鮮に送還されるだけのことぢゃて、スパイ天国と言われておっ
たくらいでの。協力したとて大したこともなかったのぢゃよ。
469 名前: つづきぢゃ 投稿日: 2000/06/19(月) 20:36
さて、北鮮から在日の鮮人に物を送れの、金を送れの話がはじまっ
た裏には、ちと事情があるでの。
日韓条約後に日本からの援助を得た韓国経済の急成長を見て、北鮮
がちとあせっての、自分等も外国からの借款で工業プラントを導入
して対抗しようとしたのぢゃが、もともと近代的な工業プラントの
運営能力や企業の経営能力などありもしないうえに、石油ショック
にぶつかっての、外貨の借金だけが残るはめになったのぢゃ。
もともと乏しい外貨獲得能力しかないところへ、借金を抱えて、必
要最小限の資材を輸入するにも事欠くようになっての、そのしわ寄
せが在日鮮人のところへ来るようになったということぢゃて。
はじめの内は、身内がそれで助かるのなら、祖国が困っているのな
ら、と応じていた朝鮮籍の鮮人もな、たび重なるとだんたんと疲れ
てきての、おまけに指導者の世襲が決まったとなると、まじめな社
会主義者ほど考えこんでな、夢から醒めるものもぼちぼちと出ては
きたのぢゃよ。
さて、一方の韓国政府といえばな、朴正煕という大統領が開発独裁
というやつで、経済的には高度成長を促進しながら、政治的には反
政府活動をゆるさぬということで、左翼はもちろんのこと、日本の
普通の人々からも、ちとやりすぎでは、と見られておったのぢゃ。
そこへ、当時は野党の頭目で、韓国におられんで、日本や米国で活
動していた金大中氏、なんと今では大統領ぢゃよ、が東京で韓国の
工作員に拉致されるという事件が起きての、日本国中、右翼から左
派まで韓国非難で轟々という大騒ぎとなった。ちょうど、石油ショ
ックの年のことぢゃったかの。
(昭和48年、金大中拉致事
の話に戻ろうかの。
何度もお話したように、北鮮の実態がはじめの話の楽園とはだいぶ
んに違うようぢゃと仲間内での評判となってからは、実際に北鮮に
渡ろう、帰国しようとするものはほとんどいなくなってしまったの
ぢゃが、まだまだ、社会主義建設中の祖国という夢は捨てきれんで
の、南北が社会主義のもとに統一すれば、いずれは日本よりも豊か
な社会ができるだろう、などと夢を先延ばしする鮮人も少なくはな
かったのぢゃ。
ぢゃがの、現実は厳しいものでの、永住権申請の期限が過ぎたころ
から、先に北鮮に渡った親族から、やれセイコーの時計を100個
送れのペニシリンを1000個送れなどという手紙が舞い込むよう
になったのぢゃよ。
またの、大きな声ではいえんが、北鮮の対南工作員などもこれらの
鮮人を頼ってというか、利用して浸透してきおったがの、ひとつに
は日ごろの主義主張から、もうひとつには人質同様の親族が北鮮に
おることから、なかなか断れんことであったのぢゃろう。
なに、今でもそうぢゃが、日本にはスパイ防止法などないでの、本
物の工作員が捕まっても大した罪にはならず、ちょいと服役した後
に北鮮に送還されるだけのことぢゃて、スパイ天国と言われておっ
たくらいでの。協力したとて大したこともなかったのぢゃよ。
469 名前: つづきぢゃ 投稿日: 2000/06/19(月) 20:36
さて、北鮮から在日の鮮人に物を送れの、金を送れの話がはじまっ
た裏には、ちと事情があるでの。
日韓条約後に日本からの援助を得た韓国経済の急成長を見て、北鮮
がちとあせっての、自分等も外国からの借款で工業プラントを導入
して対抗しようとしたのぢゃが、もともと近代的な工業プラントの
運営能力や企業の経営能力などありもしないうえに、石油ショック
にぶつかっての、外貨の借金だけが残るはめになったのぢゃ。
もともと乏しい外貨獲得能力しかないところへ、借金を抱えて、必
要最小限の資材を輸入するにも事欠くようになっての、そのしわ寄
せが在日鮮人のところへ来るようになったということぢゃて。
はじめの内は、身内がそれで助かるのなら、祖国が困っているのな
ら、と応じていた朝鮮籍の鮮人もな、たび重なるとだんたんと疲れ
てきての、おまけに指導者の世襲が決まったとなると、まじめな社
会主義者ほど考えこんでな、夢から醒めるものもぼちぼちと出ては
きたのぢゃよ。
さて、一方の韓国政府といえばな、朴正煕という大統領が開発独裁
というやつで、経済的には高度成長を促進しながら、政治的には反
政府活動をゆるさぬということで、左翼はもちろんのこと、日本の
普通の人々からも、ちとやりすぎでは、と見られておったのぢゃ。
そこへ、当時は野党の頭目で、韓国におられんで、日本や米国で活
動していた金大中氏、なんと今では大統領ぢゃよ、が東京で韓国の
工作員に拉致されるという事件が起きての、日本国中、右翼から左
派まで韓国非難で轟々という大騒ぎとなった。ちょうど、石油ショ
ックの年のことぢゃったかの。
(昭和48年、金大中拉致事
これは メッセージ 121614 (unkokusaina9696 さん)への返信です.