「排斥」について思うこと
投稿者: remember140917 投稿日時: 2004/04/29 23:52 投稿番号: [121122 / 232612]
昨日から、「排斥」という言葉を良く目にします。
しかし、私は現実には、現状の出来事に「排斥」という言葉を使うのは無理があると思います。
例をあげてみましょう。
数人の人がいろいろ議論をしている時に、横からそれを聞いていた者が理由もよく説明しないまま、「お前達の議論はまったく無価値だ。」などと罵倒したとしましょう。
そもそも、議論の輪に加わりたいなら、「君たちの意見のこの部分はこういう理由で間違っていると思うがどうだろうか。」という形で話しかけるのが常識ではないでしょうか。
そうした最低限の礼儀も守らないまま罵倒をすれば、議論をしていた人達が不快に思うのは当然のことではないでしょうか。
その結果、「君とは議論できないからどこか他に行ってくれ。」と言われたとして、これをしも「排斥」と言うのでしょうか。
私はそうは思いませんし、世間一般の常識でもそうではないでしょうか。
こんなことをやって、「自分を受け入れて貰えない。排斥されている。」などと逆ギレするのは、甘え以外の何物でもないでしょう。
現実世界では当たり前のこんなことが、ここではなぜ「排斥」として非難の対象にならなければならないのか、私には理解できません。
自分に確たる主張があるのであれば、それがこのトピでよく見られるものと異なるものであっても、淡々と書き込みをしていれば良いだけです。私は、それが掲示板のあるべき姿だと思います。
他者の意見を批判するのは、掲示板であれば当然有り得ることですが、意見を述べている他者を批判することは、よほどの事が無い限りやるべきではありません。なぜなら、そうでないと議論が成立しないからです。
そうした最低限のマナーが、最近、一部の人達によって特に乱されているように思えます。
私は、その人達に「排斥」などを語る資格は無いと思います。
これは メッセージ 1 (mitokoumon_2002 さん)への返信です.
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