頭が悪いレモン!偽りの楽園
投稿者: fabyondaronan 投稿日時: 2004/04/29 22:02 投稿番号: [121043 / 232612]
それ以外にも
北送に賛成していたのは
ヒイロトモエ
寺田あきらの父
など 劇団 民芸つまり共産党かぶれと朝日新聞の記者ですね。
137 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/07(水) 14:13
じじさま、何所の本から引っ張ってきたかおせ−て。
140 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/07(水) 18:53
ぢぢさま
はやく話の続きをきかせてくれぇー。
143 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/07(水) 19:22
日本人もその時、北朝鮮に渡ってますよね。
彼等もまたマスにおどらされていたわけです。
日本は、日本人も見放したのです。
144 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/07(水) 19:37
>143
日本人妻たちですね。
地上の天国に行き二度と帰るつもりはないから、高利貸しから借りまくり
残った身内がどれだけ難儀したことか。
日本が嫌だと嘯いて出て行かれた人達を「見放した」とはこれ如何に。
145 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/07(水) 19:40
そうですね
喜んで見送った”です。
偽
り
の
地
上
の
楽
園
146 名前: ぢぢ 投稿日: 2000/06/07(水) 23:35
>133
そりゃ、いくらなんでもおだてがすぎるというものぢゃ。
ぢゃがの、ぢぢの話を聞いてくれるというなら続けようかの。
今となっては、なんともげせんことぢゃろうが、ま、帰国船、帰国
事業を了承した日本の当局側では厄介払いと考えていたフシもない
ではない。なにしろ、そのころ生活保護といえば鮮人ぢゃったで、
金くい虫での、政府も困っておったろうて。
(昭和30年の在日朝鮮人の生活保護率は21.4パーセント)
ぢゃが、これの実現に向けて運動やら実務やらを担ったものはな、
みな善意で動いておったのぢゃよ。
とはいえ、わざわざ北鮮まで出向いたくせに、接待だけ受けて、き
ちんと調べもせず見当違いの提灯記事を書きまくったしようのない
新聞記者はのう、鮮人どもに恨まれても仕方がないの。
ま、騙したもんも騙したもの、騙されたもんも騙されたもの、信じ
たもんも信じたもの、というところが公平なところぢゃろうて。
考えてみれば、冷戦の真っ最中でな、アメリカとロシアが意地をか
けて、どちらの政治が良いか住み良いかというのを競っておったこ
ろぢゃ。当時はまだ韓国との国交はなかったが、アメリカや韓国の
反対を抑えての政治判断ぢゃて、運動が始まったころは、だれも簡
単にいくとは思っておらなんだ。よう、がんばったものぢゃ。
これが実現したのが、昭和34年の暮れのことぢゃ、鮮人がぞくぞ
くと新潟港から北鮮に渡っていったの。新潟までの旅費のないもの
には、赤十字からぢゃったか、汽車賃まで出しての。
147 名前: つづきぢゃ 投稿日: 2000/06/07(水) 23:46
なにやらに追い銭ぢゃと言いおる口の悪いものもおったが、餞別代
りとみな思っておったわ。
奔走した日本人も、なかなかかなわぬことと思っておったことが実
現しての、喜んで見送っておったのぢゃ。
さて、鮮人が喜んで北鮮に渡っていくのを見て、大方の日本人はこ
れで日本に不満の鮮人の件はすっかり片がついたと思っておったの
ぢゃがの。なんの、そうはいかなんだ。
結局、この帰国船というのは尻すぼみでの、10万人に少しかける
くらいの鮮人が渡ったところで、もうだれも行こうとしなくなって
しまったのぢゃ。
日本人にしてみれば、不思議での、なんであれほど望んでおった北
鮮への帰国をせんのぢゃろうとな。無邪気に「いつ帰国するのか」
と知り合いの鮮人にたずねた日本人も多かったのぢゃよ。
聞かれた鮮人も返答に困っての「祖国が統一するまで帰れません」
などと苦し紛れに言っておったの。
なんの、先に行った連中からのうわさが伝わってくれば「地上の楽
園」どころか「この世の地獄」というのが本当のところぢゃて、行
くに行けんというのが本音ぢゃ。
本心では、これはもう日本に住むしかないと観念しておってもな、
こんな国に住めるか、北鮮は楽園ぢゃとは自分達から言い出したこ
とでの、建前ではいずれ帰国すると言いつづけ、表向きは北鮮が地
上の楽園ぢゃとな、ずっとごまかしつづけたのぢゃよ。
など 劇団 民芸つまり共産党かぶれと朝日新聞の記者ですね。
137 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/07(水) 14:13
じじさま、何所の本から引っ張ってきたかおせ−て。
140 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/07(水) 18:53
ぢぢさま
はやく話の続きをきかせてくれぇー。
143 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/07(水) 19:22
日本人もその時、北朝鮮に渡ってますよね。
彼等もまたマスにおどらされていたわけです。
日本は、日本人も見放したのです。
144 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/07(水) 19:37
>143
日本人妻たちですね。
地上の天国に行き二度と帰るつもりはないから、高利貸しから借りまくり
残った身内がどれだけ難儀したことか。
日本が嫌だと嘯いて出て行かれた人達を「見放した」とはこれ如何に。
145 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/07(水) 19:40
そうですね
喜んで見送った”です。
偽
り
の
地
上
の
楽
園
146 名前: ぢぢ 投稿日: 2000/06/07(水) 23:35
>133
そりゃ、いくらなんでもおだてがすぎるというものぢゃ。
ぢゃがの、ぢぢの話を聞いてくれるというなら続けようかの。
今となっては、なんともげせんことぢゃろうが、ま、帰国船、帰国
事業を了承した日本の当局側では厄介払いと考えていたフシもない
ではない。なにしろ、そのころ生活保護といえば鮮人ぢゃったで、
金くい虫での、政府も困っておったろうて。
(昭和30年の在日朝鮮人の生活保護率は21.4パーセント)
ぢゃが、これの実現に向けて運動やら実務やらを担ったものはな、
みな善意で動いておったのぢゃよ。
とはいえ、わざわざ北鮮まで出向いたくせに、接待だけ受けて、き
ちんと調べもせず見当違いの提灯記事を書きまくったしようのない
新聞記者はのう、鮮人どもに恨まれても仕方がないの。
ま、騙したもんも騙したもの、騙されたもんも騙されたもの、信じ
たもんも信じたもの、というところが公平なところぢゃろうて。
考えてみれば、冷戦の真っ最中でな、アメリカとロシアが意地をか
けて、どちらの政治が良いか住み良いかというのを競っておったこ
ろぢゃ。当時はまだ韓国との国交はなかったが、アメリカや韓国の
反対を抑えての政治判断ぢゃて、運動が始まったころは、だれも簡
単にいくとは思っておらなんだ。よう、がんばったものぢゃ。
これが実現したのが、昭和34年の暮れのことぢゃ、鮮人がぞくぞ
くと新潟港から北鮮に渡っていったの。新潟までの旅費のないもの
には、赤十字からぢゃったか、汽車賃まで出しての。
147 名前: つづきぢゃ 投稿日: 2000/06/07(水) 23:46
なにやらに追い銭ぢゃと言いおる口の悪いものもおったが、餞別代
りとみな思っておったわ。
奔走した日本人も、なかなかかなわぬことと思っておったことが実
現しての、喜んで見送っておったのぢゃ。
さて、鮮人が喜んで北鮮に渡っていくのを見て、大方の日本人はこ
れで日本に不満の鮮人の件はすっかり片がついたと思っておったの
ぢゃがの。なんの、そうはいかなんだ。
結局、この帰国船というのは尻すぼみでの、10万人に少しかける
くらいの鮮人が渡ったところで、もうだれも行こうとしなくなって
しまったのぢゃ。
日本人にしてみれば、不思議での、なんであれほど望んでおった北
鮮への帰国をせんのぢゃろうとな。無邪気に「いつ帰国するのか」
と知り合いの鮮人にたずねた日本人も多かったのぢゃよ。
聞かれた鮮人も返答に困っての「祖国が統一するまで帰れません」
などと苦し紛れに言っておったの。
なんの、先に行った連中からのうわさが伝わってくれば「地上の楽
園」どころか「この世の地獄」というのが本当のところぢゃて、行
くに行けんというのが本音ぢゃ。
本心では、これはもう日本に住むしかないと観念しておってもな、
こんな国に住めるか、北鮮は楽園ぢゃとは自分達から言い出したこ
とでの、建前ではいずれ帰国すると言いつづけ、表向きは北鮮が地
上の楽園ぢゃとな、ずっとごまかしつづけたのぢゃよ。
これは メッセージ 121039 (lemonchan001 さん)への返信です.