巧みに個人情報を引きしを狙う輩
投稿者: fabyondaronan 投稿日時: 2004/04/21 23:31 投稿番号: [118997 / 232612]
北と金大中を繋いだキーマン
〈これ(拉致事件)は金大中氏が暗殺される危険と共に、韓民統の結成に支障
をもたらす重大な事態でした。在日民主運動陣営は、この難局を乗り切るた
めに悲壮な覚悟で金大中氏の救出運動をくりひろげる一方、予定通り八月十
三日に発起大会、十五日に結成宣言大会を開き、韓民統の歴史的出帆を宣布
しました〉
拉致から五日後に韓国で解放された金大中は自宅で軟禁生活を強いられ、
八○年の光州事件で逮捕、死刑判決を受けたが、相次ぐ苦難に見舞われた金
大中への韓統連の支援態勢は変わらなかった。鄭氏はその中心メンバーとな
り、金大中が大統領に就任するまで物心両面で支え続けた。
国情院幹部がキーマンとして名を挙げた趙活俊について、鄭氏はこう言
う。
「趙は金大中の秘書を務めたほどの男で、金大中が大統領に就いたことで一
番恩恵を受けた人物でしょう。ですが、彼を通じて韓統連が北から支援を受
けていたとは俄かには信じられない。ただ、あるとき『趙は朝鮮総連に出入
りしており、共和国への祖国訪問を斡旋する商売で法外な手数料を取ってい
る』という密告を受けたことがある。私は趙に『妙な噂が立っているが、金
大中の立派な方針に傷がつくぞ』と忠告したが、彼は『今は北との対立がと
やかく言われるような時代じゃありませんよ』と笑い飛ばしていましたね」
一方、やはり韓統連の中核メンバーだった林炳澤氏(現・札幌市政研究所研
究員)は、趙をこう評した。
「なぜ彼が金大中の側近として重用されたのか、いまだに理由がわからな
い。講演はお世辞にも上手とは言えなかったし、性格はよく言えば大らかだ
が、悪く言えば大雑把。光州事件の際に反国家団体の指定を受けている韓統
連のメンバーは長く韓国への入国を拒否されていたが、彼は盧泰愚政権時代
に入国許可を得てソウルに事務所や自宅を持ってさかんに日韓を行き来して
いた。そんな彼が陰で朝鮮総連にも出入りしていたとは信じられない」
だが、「事務総長は資金作りが最大の任務。趙が密命を帯びて総連と接触
していたことは間違いない」(国情院筋)との確度の高い証言もある。
そのキーマン、趙活俊は荒川区でスポーツセンターを経営していたが、一
昨年暮れに病死しており、話を聞くことはできなかった。
だが、朝鮮総連関係者で趙と総連との密接な関わりを証言する人物が現れ
た。
「韓統連は総連のウラ部隊というのが当時の我々の共通認識でした。韓徳銖
議長や許宗萬副議長ら総連の首脳陣はもちろん、一般職員まで全員知ってい
ました」
そう証言するのは、朝鮮総連新潟本部で副委員長を務めたこともある張明
秀氏である。八八年に総連の方針を批判して一切の役職を離れた人物だが、
三十年ほど前は東京の中央本部社会局に在籍していた。
「その頃、韓統連の事務総長という肩書で趙活俊は度々総連本部に出入りし
ていました。目的はズバリ工作資金目当てですよ。当時、韓統連は対南工作
活動の一端を担っており、その工作資金を総連が支援していたのです。私も
韓統連の”金庫番”だった趙を中央本部で見かけたことがあります。趙を秘
書として使っていた金大中がこうした事実を知らないはずがありません。日
本滞在中から、韓統連が北の対南工作に利用されていると薄々気づいていた
はずです。だからこそ、金大中は大統領就任後、手のひらを返したように韓
統連との接触を断ち、韓統連の反国家団体指定も撤回しようとしなかった。
韓統連との過去の関係を取沙汰されるのを恐れたのでしょう」
〈これ(拉致事件)は金大中氏が暗殺される危険と共に、韓民統の結成に支障
をもたらす重大な事態でした。在日民主運動陣営は、この難局を乗り切るた
めに悲壮な覚悟で金大中氏の救出運動をくりひろげる一方、予定通り八月十
三日に発起大会、十五日に結成宣言大会を開き、韓民統の歴史的出帆を宣布
しました〉
拉致から五日後に韓国で解放された金大中は自宅で軟禁生活を強いられ、
八○年の光州事件で逮捕、死刑判決を受けたが、相次ぐ苦難に見舞われた金
大中への韓統連の支援態勢は変わらなかった。鄭氏はその中心メンバーとな
り、金大中が大統領に就任するまで物心両面で支え続けた。
国情院幹部がキーマンとして名を挙げた趙活俊について、鄭氏はこう言
う。
「趙は金大中の秘書を務めたほどの男で、金大中が大統領に就いたことで一
番恩恵を受けた人物でしょう。ですが、彼を通じて韓統連が北から支援を受
けていたとは俄かには信じられない。ただ、あるとき『趙は朝鮮総連に出入
りしており、共和国への祖国訪問を斡旋する商売で法外な手数料を取ってい
る』という密告を受けたことがある。私は趙に『妙な噂が立っているが、金
大中の立派な方針に傷がつくぞ』と忠告したが、彼は『今は北との対立がと
やかく言われるような時代じゃありませんよ』と笑い飛ばしていましたね」
一方、やはり韓統連の中核メンバーだった林炳澤氏(現・札幌市政研究所研
究員)は、趙をこう評した。
「なぜ彼が金大中の側近として重用されたのか、いまだに理由がわからな
い。講演はお世辞にも上手とは言えなかったし、性格はよく言えば大らかだ
が、悪く言えば大雑把。光州事件の際に反国家団体の指定を受けている韓統
連のメンバーは長く韓国への入国を拒否されていたが、彼は盧泰愚政権時代
に入国許可を得てソウルに事務所や自宅を持ってさかんに日韓を行き来して
いた。そんな彼が陰で朝鮮総連にも出入りしていたとは信じられない」
だが、「事務総長は資金作りが最大の任務。趙が密命を帯びて総連と接触
していたことは間違いない」(国情院筋)との確度の高い証言もある。
そのキーマン、趙活俊は荒川区でスポーツセンターを経営していたが、一
昨年暮れに病死しており、話を聞くことはできなかった。
だが、朝鮮総連関係者で趙と総連との密接な関わりを証言する人物が現れ
た。
「韓統連は総連のウラ部隊というのが当時の我々の共通認識でした。韓徳銖
議長や許宗萬副議長ら総連の首脳陣はもちろん、一般職員まで全員知ってい
ました」
そう証言するのは、朝鮮総連新潟本部で副委員長を務めたこともある張明
秀氏である。八八年に総連の方針を批判して一切の役職を離れた人物だが、
三十年ほど前は東京の中央本部社会局に在籍していた。
「その頃、韓統連の事務総長という肩書で趙活俊は度々総連本部に出入りし
ていました。目的はズバリ工作資金目当てですよ。当時、韓統連は対南工作
活動の一端を担っており、その工作資金を総連が支援していたのです。私も
韓統連の”金庫番”だった趙を中央本部で見かけたことがあります。趙を秘
書として使っていた金大中がこうした事実を知らないはずがありません。日
本滞在中から、韓統連が北の対南工作に利用されていると薄々気づいていた
はずです。だからこそ、金大中は大統領就任後、手のひらを返したように韓
統連との接触を断ち、韓統連の反国家団体指定も撤回しようとしなかった。
韓統連との過去の関係を取沙汰されるのを恐れたのでしょう」
これは メッセージ 118990 (a189985672 さん)への返信です.