「ばかやろうと殴りたい」
投稿者: fabyondarone 投稿日時: 2004/04/18 01:24 投稿番号: [117962 / 232612]
<イラク人質解放>「ばかやろうと殴りたい」
安田さん父
日本人3人の人質解放から2日、バグダッドで行方が分からなくなっていた日本人男性2人も17日、武装勢力から解放された。2人の元気そうな様子が映像で流れ、生存を祈っていた家族らは笑顔と涙に包まれた。これでイラクで相次いだ日本人拘束事件は全員が無事生還したが、危険地域でのNGOやジャーナリストの行動のあり方が改めて問われることにもなった。
17日午後5時すぎ、フリージャーナリスト、安田純平さん(30)と市民団体メンバー、渡辺修孝さん(36)の解放直後の姿が、テレビに映し出された。拘束情報から4日目。2人はひげが伸びてやや疲れた表情ながら、元気そうな様子だ。
安田さんは白っぽいTシャツ姿で、渡辺さんは緑色のTシャツを着て首からタオルを下げている。室内のソファに並んで座り、インタビューに英語で答えた。
「みなさんにいくら感謝しても言い切れない」。安田さんは礼を言い、時折笑顔も見せた。渡辺さんは「ファルージャで、米軍の攻撃で多くのイラク人が命を落としている。これは問題だ」などと話した。
2日前の3人解放の際も同席した「イラク・イスラム聖職者協会」の幹部、アブサラム・クバイシ師がいる。同師は「日本人に喜んでもらえるよう、昨日から連絡を取っていた。解放され、非常にうれしく思う」と語った。
埼玉県入間市の安田さんの自宅。父英昭さん(64)と母幸子さん(60)はテレビで解放の速報をみて2人で万歳をし、幸子さんはそのまま泣き崩れたという。
英昭さんは自宅前での記者会見の冒頭、「皆さんありがとうございました」と何度も頭を下げた。そのうえで「最後まで信じていました。すぐに日本に帰らせ、ばかやろうと言って殴ってやりたい」と話した。
午後7時15分ごろに、再び会見に応じた英昭さんは「さきほど本人から電話がかかってきたが、声を聞く限り元気そうだった。外務省からも本人と正式に確認されたという電話があった」と笑顔で話した。
新聞記者からフリージャーナリストとなり戦場取材を志した安田さんは、友人たちに「人知れず傷つけられていく人たちの声を伝えたい」「イラクの普通の人々の姿を取材したい」と、仕事への思いを語っていた。
4回目のイラク取材だった今回、安田さんは3月14日に離日後、バグダッドを中心に、サマワなどを取材。今月12日夕方に日本の友人たちに送ったメールでは、日本人3人人質事件についてスンニ派イラク人から「日本人が大切なのは分かるが、連日何百人と殺されているイラク人のことも同様に尊重すべきではないか」と言われたことなどをつづっていた。
栃木県足利市に住む渡辺さんの両親には午後5時過ぎ、親類から「急いでテレビをつけて」と電話があった。まもなく、携帯電話で会話する渡辺さんの肉声が流れ、無事を確信したという。
母和枝さん(61)は「政府をはじめ、日本の皆さん、イラクの皆さん、世界の皆さんに感謝します。ありがとうございます」と言い、泣き崩れた。父国雄さん(65)は「いろいろな方々のご努力のおかげ。複雑な気持ちもあるが、よく頑張ったといってやりたい」と安堵(あんど)の表情を見せた。
行方不明以降、和枝さんは「夜は眠れず、仕事中だけ気を紛らわせることができた」という。「最悪のことも考えただけに、生きていて良かった」と目頭を押さえた。
午後6時すぎから足利市役所での記者会見の途中、和枝さんの携帯電話に修孝さんから連絡が入った。電話に出た親類の女性に、渡辺さんは「心配かけたね。粗末ではない食事をもらっていたから大丈夫」と拘束中の状況を話したという。
日本人3人の人質解放から2日、バグダッドで行方が分からなくなっていた日本人男性2人も17日、武装勢力から解放された。2人の元気そうな様子が映像で流れ、生存を祈っていた家族らは笑顔と涙に包まれた。これでイラクで相次いだ日本人拘束事件は全員が無事生還したが、危険地域でのNGOやジャーナリストの行動のあり方が改めて問われることにもなった。
17日午後5時すぎ、フリージャーナリスト、安田純平さん(30)と市民団体メンバー、渡辺修孝さん(36)の解放直後の姿が、テレビに映し出された。拘束情報から4日目。2人はひげが伸びてやや疲れた表情ながら、元気そうな様子だ。
安田さんは白っぽいTシャツ姿で、渡辺さんは緑色のTシャツを着て首からタオルを下げている。室内のソファに並んで座り、インタビューに英語で答えた。
「みなさんにいくら感謝しても言い切れない」。安田さんは礼を言い、時折笑顔も見せた。渡辺さんは「ファルージャで、米軍の攻撃で多くのイラク人が命を落としている。これは問題だ」などと話した。
2日前の3人解放の際も同席した「イラク・イスラム聖職者協会」の幹部、アブサラム・クバイシ師がいる。同師は「日本人に喜んでもらえるよう、昨日から連絡を取っていた。解放され、非常にうれしく思う」と語った。
埼玉県入間市の安田さんの自宅。父英昭さん(64)と母幸子さん(60)はテレビで解放の速報をみて2人で万歳をし、幸子さんはそのまま泣き崩れたという。
英昭さんは自宅前での記者会見の冒頭、「皆さんありがとうございました」と何度も頭を下げた。そのうえで「最後まで信じていました。すぐに日本に帰らせ、ばかやろうと言って殴ってやりたい」と話した。
午後7時15分ごろに、再び会見に応じた英昭さんは「さきほど本人から電話がかかってきたが、声を聞く限り元気そうだった。外務省からも本人と正式に確認されたという電話があった」と笑顔で話した。
新聞記者からフリージャーナリストとなり戦場取材を志した安田さんは、友人たちに「人知れず傷つけられていく人たちの声を伝えたい」「イラクの普通の人々の姿を取材したい」と、仕事への思いを語っていた。
4回目のイラク取材だった今回、安田さんは3月14日に離日後、バグダッドを中心に、サマワなどを取材。今月12日夕方に日本の友人たちに送ったメールでは、日本人3人人質事件についてスンニ派イラク人から「日本人が大切なのは分かるが、連日何百人と殺されているイラク人のことも同様に尊重すべきではないか」と言われたことなどをつづっていた。
栃木県足利市に住む渡辺さんの両親には午後5時過ぎ、親類から「急いでテレビをつけて」と電話があった。まもなく、携帯電話で会話する渡辺さんの肉声が流れ、無事を確信したという。
母和枝さん(61)は「政府をはじめ、日本の皆さん、イラクの皆さん、世界の皆さんに感謝します。ありがとうございます」と言い、泣き崩れた。父国雄さん(65)は「いろいろな方々のご努力のおかげ。複雑な気持ちもあるが、よく頑張ったといってやりたい」と安堵(あんど)の表情を見せた。
行方不明以降、和枝さんは「夜は眠れず、仕事中だけ気を紛らわせることができた」という。「最悪のことも考えただけに、生きていて良かった」と目頭を押さえた。
午後6時すぎから足利市役所での記者会見の途中、和枝さんの携帯電話に修孝さんから連絡が入った。電話に出た親類の女性に、渡辺さんは「心配かけたね。粗末ではない食事をもらっていたから大丈夫」と拘束中の状況を話したという。
これは メッセージ 1 (mitokoumon_2002 さん)への返信です.