青木元ペルー大使ら助言
投稿者: mutekinozerosen 投稿日時: 2004/04/10 23:50 投稿番号: [115867 / 232612]
三馬鹿トリオとさえ酷評されたり、自業自得と嘲笑されたりする被害者に外交官や商社支店長の老練な応対はまずできないでしょうね。ただおびえているだけだろうと思います。自演でなければ、テログループさえ人質の幼稚な考えにあきれ果ててしまうかもしれない。彼らに経験といえるほどの社会経験がなく、大人の判断力がないためにこんな危険な国に平気で乗り込んだりする。この事件の場合、時間がたてばたつほど被害者に不利になるような気がします。犯人達もこんな連中が足手まといに感じられてくるでしょう。命をかけて人質を取るテロリストと、これらの人物たちと会話が成り立つとは考えにくい。仮に何ヶ月かたって軍隊が突入する事態になったら、全員テロリストに射殺されてしまうのではないでしょうか。
「希望捨てず人間関係作って」青木元ペルー大使ら助言
イラクで起きた日本人3人の人質事件で、逢沢一郎外務副大臣が10日朝(日本時間)、隣国ヨルダンの首都アンマンに到着し、救出に向けた陣頭指揮を始めたが、武装グループの所在すらはっきりせず、厳しい状況は変わっていない。3人は今、どんな心理状況にあり、無事救出するためには何が必要なのか。かつて海外で同じような事件に巻き込まれ、生命の危険にさらされながら生還を果たした人たちに聞いた。
1996年に起きたペルーの日本大使公邸占拠事件で人質となった元ペルー大使の青木盛久さん(66)は、「相手がテロリストでも、互いに人間だと認識されれば殺されない。3人は一刻も早く相手と人間関係を作って欲しい」と話す。
事件が起きた直後、青木さんは、ゲリラから「交渉期限は48時間だ」と告げられたが、事態がこう着状態に陥ったために長期戦を覚悟。ゲリラの仲間が置かれた獄中の劣悪な環境など、相手の話に耳を傾け、会話が生まれた。自分の「殺害役」も決まっていたが、約4か月後にペルー軍が突入した際、ゲリラは青木さんの背に向けた銃の引き金を引かなかったという。
ペルー政府とゲリラの間に国際赤十字が入ったのも、成功の要因だった。青木さんは「宗教指導者など信頼できる現地の仲介者を早急に見つけて交渉を進めるべきだ。早期解決を望まず、時間をかけた方が無事解放の可能性は高まる」と強調した。
同事件で人質になった大手商社丸紅の元リマ支店長、斉藤慶一さん(56)も、「3人ができることは、互いに励まし合って希望を持ち、犯人側と心を通わせることだ」と言う。
斉藤さんは「明日はあるのか」という極限の状況に陥りながらも、身ぶり手ぶりでゲリラに語りかけ、日本の文化や考え方を伝えたという。今回の3人は外界と完全に遮断されている可能性が高く、ラジオが聞けた公邸占拠事件より事情は厳しいと見られるが、斉藤さんは「イラクのために情熱を持ってやって来たことが、犯人たちに伝われば……」と祈るような口調で話した。
99年8月、中央アジア・キルギスでイスラム武装集団に拉致され、2か月後に無事解放された鉱山技術者、有家敏晃さん(63)は「あきらめないという気持ちを最後まで捨てないことが大切。とにかく無事に帰って来て欲しい」と語る。
シャワーもトイレもなく、銃を抱えた7、8人のゲリラに見張られながら、山中の小屋を転々とさせられる毎日で、何度も「解放する」と言われては反故(ほご)にされた。脱出を考えたこともあったが、地図もなく、山中ではかえって命取りだと考えてやめた。絶望の淵(ふち)に立たされながらも、一緒に連れ去られた3人の仲間と共に生まれ故郷の思い出を語り、「絶対に日本に帰ろう」と励まし合ったという。
90年の湾岸危機の際、イラクから出国を禁じられ、フセイン政権の“人質”となった元イラク日本人会会長の東福寺正弘さん(68)も「今回の事件では、犯人グループがどこのどんな組織なのか分からず、我々の場合とは比較にならないが、悲観的にならないことが、良い結果につながるはずだ」と話した。
「希望捨てず人間関係作って」青木元ペルー大使ら助言
イラクで起きた日本人3人の人質事件で、逢沢一郎外務副大臣が10日朝(日本時間)、隣国ヨルダンの首都アンマンに到着し、救出に向けた陣頭指揮を始めたが、武装グループの所在すらはっきりせず、厳しい状況は変わっていない。3人は今、どんな心理状況にあり、無事救出するためには何が必要なのか。かつて海外で同じような事件に巻き込まれ、生命の危険にさらされながら生還を果たした人たちに聞いた。
1996年に起きたペルーの日本大使公邸占拠事件で人質となった元ペルー大使の青木盛久さん(66)は、「相手がテロリストでも、互いに人間だと認識されれば殺されない。3人は一刻も早く相手と人間関係を作って欲しい」と話す。
事件が起きた直後、青木さんは、ゲリラから「交渉期限は48時間だ」と告げられたが、事態がこう着状態に陥ったために長期戦を覚悟。ゲリラの仲間が置かれた獄中の劣悪な環境など、相手の話に耳を傾け、会話が生まれた。自分の「殺害役」も決まっていたが、約4か月後にペルー軍が突入した際、ゲリラは青木さんの背に向けた銃の引き金を引かなかったという。
ペルー政府とゲリラの間に国際赤十字が入ったのも、成功の要因だった。青木さんは「宗教指導者など信頼できる現地の仲介者を早急に見つけて交渉を進めるべきだ。早期解決を望まず、時間をかけた方が無事解放の可能性は高まる」と強調した。
同事件で人質になった大手商社丸紅の元リマ支店長、斉藤慶一さん(56)も、「3人ができることは、互いに励まし合って希望を持ち、犯人側と心を通わせることだ」と言う。
斉藤さんは「明日はあるのか」という極限の状況に陥りながらも、身ぶり手ぶりでゲリラに語りかけ、日本の文化や考え方を伝えたという。今回の3人は外界と完全に遮断されている可能性が高く、ラジオが聞けた公邸占拠事件より事情は厳しいと見られるが、斉藤さんは「イラクのために情熱を持ってやって来たことが、犯人たちに伝われば……」と祈るような口調で話した。
99年8月、中央アジア・キルギスでイスラム武装集団に拉致され、2か月後に無事解放された鉱山技術者、有家敏晃さん(63)は「あきらめないという気持ちを最後まで捨てないことが大切。とにかく無事に帰って来て欲しい」と語る。
シャワーもトイレもなく、銃を抱えた7、8人のゲリラに見張られながら、山中の小屋を転々とさせられる毎日で、何度も「解放する」と言われては反故(ほご)にされた。脱出を考えたこともあったが、地図もなく、山中ではかえって命取りだと考えてやめた。絶望の淵(ふち)に立たされながらも、一緒に連れ去られた3人の仲間と共に生まれ故郷の思い出を語り、「絶対に日本に帰ろう」と励まし合ったという。
90年の湾岸危機の際、イラクから出国を禁じられ、フセイン政権の“人質”となった元イラク日本人会会長の東福寺正弘さん(68)も「今回の事件では、犯人グループがどこのどんな組織なのか分からず、我々の場合とは比較にならないが、悲観的にならないことが、良い結果につながるはずだ」と話した。
これは メッセージ 1 (mitokoumon_2002 さん)への返信です.