学ばせるべきは誇り高き日本の文化
投稿者: mutekinozerosen 投稿日時: 2004/03/29 22:01 投稿番号: [113310 / 232612]
■【正論】お茶の水女子大学
藤原正彦
学ばせるべきは誇り高き日本の文化
-
英語教育を小学校に導入する愚
≪教えられる子供達が気の毒≫
英語第二公用語論がやっと沈静したと思ったら、今度は手をかえて「小学校での英語必修化」が蠢(うごめ)き始めた。平成十四年に、国際理解教育の一環として公立小学校に導入された英語は、今や全国の小学校の半数以上で教えられている。平成十六年度には東京・荒川区で、英語を正式教科に格上げし、区内の全小学校で一年次より担任が教えることになるという。
小学校での英語に関しては保護者の要望も強く、この動きは今後全国に広がりそうである。この高まりを受けてか、小学校での英語必修化に強い意欲を持つ文部科学大臣は、中央教育審議会に実施に向けた検討を要請した。
小学校での英語教育を主張する人の大多数は、英語が不得意の人である。自分ができないのを何かのせいにする、というのは人情である。かつては、文法や読解に重点をおいた従来の英語教育法が悪い、と声高に叫ばれた。教科書や授業で会話英語が大幅に取り入れられた。そんな教育を受けてきた大学生の英語基礎力の低下は、関係者からよく指摘されることである。しからば他の理由ということで、「小学校から始めなかったのが悪い」となった。
英語力ゼロに近いほとんどの小学校教諭が、生徒に一体なにを教えるのか。ブラックユーモアとしてなら世界中に受けること必定だが、教えられる子供達は気の毒である。
≪母国語こそが文化の中核≫
大ていの日本人が英語をなかなか会得できないのは、日本人にとって英語自体が極端に難しいからという理由につきる。何かが悪いからではない。日本にいて英語をマスターしている人はすべて、外国語適性の高い人が膨大な時間と労力をかけた結果である。
英語は文法的にも文化背景から言っても、日本語からあまりにも遠い。アメリカ国務省は、外交官などのため外国語学習の難易度をランキングしているが、日本語はアラビア語とならび最難解とされている。この距離ゆえに、日本人にとって英語は根本的に難しいのである。そのうえフィリピン、シンガポール、インドなどと違い、日本で日常生活を送るうえで日本語以外の言語はまったく不必要である。どうしても習得しなければ、という動機も覚悟もわきにくい。
これらは嘆くべきことではない。外国語が不必要というのは、他のアジア・アフリカ諸国と異なり、かつて欧米の植民地にならなかったという栄光の歴史を物語っている。英語から遠いという事実は、世界を席捲(せっけん)しつつあるアングロサクソン文化に対し、自然の防波堤を有するということである。母国語こそが文化の中核だからである。我が国に美しく花開いた稀有(けう)の文化、人類の宝石とも言うべきものを、荒波から守るための神の思し召しと感謝してよい。
≪読書などの知的活動必要≫
英語をマスターすれば国際人になれる、という驚くべき誤解が国民の間に根強いようだ。言うまでもなく国際社会では、一芸に秀でた人はともかく、一般には伝達手段の巧拙でなく伝達内容の質で人間は評価される。質の向上には自国の文化や歴史などの教養とそれに基づく見識が必要である。米英で四年余り教えたが、この意味での国際人は私の見るところ、両国でも高々数パーセントである。逆にぎこちない英語ながら、国際人として尊敬されている日本人を何人も知っている。
後略
http://www.sankei.co.jp/news/seiron.htm
日本人が日本人である事に自信を持てなくなると漢字廃止論、日本語廃止論が出てくるそうです。第一回目は明治維新直後。哲学者の西周がローマ字表記を、文部大臣の森有礼が日本語廃止論を唱えたらしい。
第二回目は敗戦直後です。作家の志賀直哉は世界で一番美しい言語を国語にせよと言ったとの事。
http://srd.yahoo.co.jp/PAGE=P/LOC=P/R=2/*-http://www.honco.net/japanese/03/page1-j.html
今また小学校での英語教育論。確かに英語は難しい。私は話す事も聞く事もできません。(私は英語に関してツンボでオシだと言ったら差別になるんでしょうか)しかし大学の受験英語はかなりレベルが高く、商社員の英文レポートが誉められると言う話も聞いた事がある。受験英語(文法、解釈、作文)の訓故注釈的効用を積極的に唱えたのは渡辺昇一教授でしたが、あちらに行けば一年も経たずある程度の会話はできると言う。小学校の英語教育が中学校の文法を中心とした英語の焼きなましだったら英語嫌いを増やすだ\xA4
-
英語教育を小学校に導入する愚
≪教えられる子供達が気の毒≫
英語第二公用語論がやっと沈静したと思ったら、今度は手をかえて「小学校での英語必修化」が蠢(うごめ)き始めた。平成十四年に、国際理解教育の一環として公立小学校に導入された英語は、今や全国の小学校の半数以上で教えられている。平成十六年度には東京・荒川区で、英語を正式教科に格上げし、区内の全小学校で一年次より担任が教えることになるという。
小学校での英語に関しては保護者の要望も強く、この動きは今後全国に広がりそうである。この高まりを受けてか、小学校での英語必修化に強い意欲を持つ文部科学大臣は、中央教育審議会に実施に向けた検討を要請した。
小学校での英語教育を主張する人の大多数は、英語が不得意の人である。自分ができないのを何かのせいにする、というのは人情である。かつては、文法や読解に重点をおいた従来の英語教育法が悪い、と声高に叫ばれた。教科書や授業で会話英語が大幅に取り入れられた。そんな教育を受けてきた大学生の英語基礎力の低下は、関係者からよく指摘されることである。しからば他の理由ということで、「小学校から始めなかったのが悪い」となった。
英語力ゼロに近いほとんどの小学校教諭が、生徒に一体なにを教えるのか。ブラックユーモアとしてなら世界中に受けること必定だが、教えられる子供達は気の毒である。
≪母国語こそが文化の中核≫
大ていの日本人が英語をなかなか会得できないのは、日本人にとって英語自体が極端に難しいからという理由につきる。何かが悪いからではない。日本にいて英語をマスターしている人はすべて、外国語適性の高い人が膨大な時間と労力をかけた結果である。
英語は文法的にも文化背景から言っても、日本語からあまりにも遠い。アメリカ国務省は、外交官などのため外国語学習の難易度をランキングしているが、日本語はアラビア語とならび最難解とされている。この距離ゆえに、日本人にとって英語は根本的に難しいのである。そのうえフィリピン、シンガポール、インドなどと違い、日本で日常生活を送るうえで日本語以外の言語はまったく不必要である。どうしても習得しなければ、という動機も覚悟もわきにくい。
これらは嘆くべきことではない。外国語が不必要というのは、他のアジア・アフリカ諸国と異なり、かつて欧米の植民地にならなかったという栄光の歴史を物語っている。英語から遠いという事実は、世界を席捲(せっけん)しつつあるアングロサクソン文化に対し、自然の防波堤を有するということである。母国語こそが文化の中核だからである。我が国に美しく花開いた稀有(けう)の文化、人類の宝石とも言うべきものを、荒波から守るための神の思し召しと感謝してよい。
≪読書などの知的活動必要≫
英語をマスターすれば国際人になれる、という驚くべき誤解が国民の間に根強いようだ。言うまでもなく国際社会では、一芸に秀でた人はともかく、一般には伝達手段の巧拙でなく伝達内容の質で人間は評価される。質の向上には自国の文化や歴史などの教養とそれに基づく見識が必要である。米英で四年余り教えたが、この意味での国際人は私の見るところ、両国でも高々数パーセントである。逆にぎこちない英語ながら、国際人として尊敬されている日本人を何人も知っている。
後略
http://www.sankei.co.jp/news/seiron.htm
日本人が日本人である事に自信を持てなくなると漢字廃止論、日本語廃止論が出てくるそうです。第一回目は明治維新直後。哲学者の西周がローマ字表記を、文部大臣の森有礼が日本語廃止論を唱えたらしい。
第二回目は敗戦直後です。作家の志賀直哉は世界で一番美しい言語を国語にせよと言ったとの事。
http://srd.yahoo.co.jp/PAGE=P/LOC=P/R=2/*-http://www.honco.net/japanese/03/page1-j.html
今また小学校での英語教育論。確かに英語は難しい。私は話す事も聞く事もできません。(私は英語に関してツンボでオシだと言ったら差別になるんでしょうか)しかし大学の受験英語はかなりレベルが高く、商社員の英文レポートが誉められると言う話も聞いた事がある。受験英語(文法、解釈、作文)の訓故注釈的効用を積極的に唱えたのは渡辺昇一教授でしたが、あちらに行けば一年も経たずある程度の会話はできると言う。小学校の英語教育が中学校の文法を中心とした英語の焼きなましだったら英語嫌いを増やすだ\xA4
これは メッセージ 1 (mitokoumon_2002 さん)への返信です.