小泉首相の訪朝と課題について☆☆☆☆☆

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中朝関係が冷え切っている3つの理由

投稿者: sofiansky2003 投稿日時: 2004/03/12 06:35 投稿番号: [110768 / 232612]
中朝関係が冷えている理由は、それほど難しいことではないが青木直人によると次の3つである。
特に3番目がユニークといえばユニークか。

1番目:
冷戦が終了して、冷戦的思考、つまり社会主義と資本主義の体制衝突論が事実上、現実性を持たなくなったこと。
中国はとっくに(80年代)改革・開放路線を取っていたのに、この中で北朝鮮だけは変っていないこと。

2番目:
中国と韓国の国交正常化(92年)
中国はアジアで数少ない中華民国承認国である韓国を中国側に抱き込もうとした。

3番目:
中国、北朝鮮の革命世代が世を去ったこと。
アジアの政治土壌では、カリスマ的なリーダーの存在と思惑が外交関係を決める。
中国と北朝鮮がそうだった。
金日成と毛沢東、周恩来、訒小平、楊尚昆ら長老との個人的な信頼関係が、両国の関係を規定してきた。
金日成はもともとは満州にいた中朝両国の抗日ゲリラ軍の副官で、中国の間島を拠点にしていた経歴を持つ。
中国語はぺらぺらだし、中国の党や軍には知人も多い。
互いに相互不信はぬぐえなかったが、革命世代が存命中は、首脳同士で1年に2回相互に訪問しあって情報交換に余念がなかった。
このため、両国指導者間の腹のうちは互いに了解されていたのだ。

その金日成が94年7月に死亡した。
訒小平も97年2月に亡くなった。
解放軍の実力者で楊尚昆も98年に世を去った。
こうして中朝の最高実力者間のコミュニケーションは絶えた。
後を継いだ金正日は、3年の喪を理由に、中国訪問を行わなかった。
彼は訒や楊の葬儀にも出席していない。
金正日は朝貢を怠ったのである。

金正日が中国を訪問したのは2回のみである。
2000年5月の非公式訪問と01年1月の北京・上海訪問のみである。


金日成が94年に後継してから、中国・ロシア各2回しか訪問していない。
10年間でたった4回しか外遊を行っていないのというのは、飛行機嫌いとか諸々言われていれているが、小中華意識の現われでもあろう。
国内視察はごくごく熱心に行っているようであるが、単なる怠け者でしかない。
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