市民 ⇔ 公民
投稿者: rachi_yamero 投稿日時: 2004/02/10 13:31 投稿番号: [105837 / 232612]
この記事、なんだかすごく違和感がある。
>いまでは文盲率が低いが(12歳総人口の1%未満に推定)、独立直後の状況は異なった。 78%に達したのだ。
日本統治時代、文盲率は急減したんじゃないの?
>公民と市民の概念は似ていながらも少し異なる。 市民は「国家からの自由」を目指すが、公民は「国家に参加する権利」に、さらに重みを置く。
国民は国家に対して納税、兵役などの各種義務を負っているはずなのに、有力紙の論調がこれでは国家がまとまらないのも無理はない。
――――――――――
http://japanese.joins.com/html/2004/0209/20040209210751100.html
【噴水台】公民学校
『美しい青年』(訳注:労働運動を主題にした韓国映画の題名)こと全泰壱(チョン・テイル、同名映画の主人公となった労働者)が、ソウル清渓川(チョンギェチョン)の平和(ピョンファ)市場の路地で焼身自殺する7年前の1963年、15歳の同氏は大邱(テグ)に住んでいた。同氏が残した表現通り「1日がやってくるというのが怖い」生活が続いていた時代、新聞売り、靴磨きをしながら、しばらくの間、チョンオック高等公民学校を通っていた。 小学校4年を中退した同氏にとって、公民学校は、学業を続かせてくれる、ほぼ唯一の窓口だった。 しかし、宿命のような貧困は、同氏を再び、清渓川の労働者にさせた。
いまでは文盲率が低いが(12歳総人口の1%未満に推定)、独立直後の状況は異なった。 78%に達したのだ。 民主主義を移植するためには、何よりも文盲の退治が必要とされる、と判断した米軍政は、1946年に公民学校を設けた。 小学校に通えなかった人々に、短時間(1〜3年)でその過程を踏ませるとの趣旨だった。 48年の政府樹立以降、中学校課程を教える高等公民学校も設けられた。
公民と市民の概念は似ていながらも少し異なる。 市民は「国家からの自由」を目指すが、公民は「国家に参加する権利」に、さらに重みを置く。 金がないため、きちんと勉強できなかった人々にも、教育参加の機会を与えよう、という公民の哲学から、同校はスタートしたのだ。 1950年代後半、ソウルの公民学校と高等公民学校は、それぞれ約50校にのぼるほど繁盛した。 だが、小学校課程の教育が義務付けられ(59年)、学生らが減ることによって、公民学校は70年代、高等公民学校は90年代、それぞれ一ケタ数に減少する。 02年には中学校課程の教育が義務付けられ、高等公民学校の没落を促した。
最近、ソウルに一校だけとなった高等公民学校が、最後の卒業式を行った。スド高等公民学校が、開校から50年ぶりに閉校したのだ。 収益性のない状況で、これまで学校を運営してきた劉秀烈(ユ・スヨル)理事長兼校長に拍手を送りたい。 今後ソウルには、公民という名前では、キチョン公民学校だけが残るようになった。 依然として文字の読み書きができない高齢者、様々な理由から、義務教育の課程を受けられない青少年らが少なくない。 公民学校は消えても、それらへの教育機会だけは減らしてはならない。
大卒者5人に1人が失業者という時代だ。 学ぶべきものを全部学んだにもかかわらず、働き口を得られずにいる若年層は「教育に疎外された階層」の象徴であり、希望だった公民学校を、果たしてどんな視線で見ているのだろうか。
李圭淵(イ・キュヨン)社会部次長
2004.02.09 21:07
>いまでは文盲率が低いが(12歳総人口の1%未満に推定)、独立直後の状況は異なった。 78%に達したのだ。
日本統治時代、文盲率は急減したんじゃないの?
>公民と市民の概念は似ていながらも少し異なる。 市民は「国家からの自由」を目指すが、公民は「国家に参加する権利」に、さらに重みを置く。
国民は国家に対して納税、兵役などの各種義務を負っているはずなのに、有力紙の論調がこれでは国家がまとまらないのも無理はない。
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http://japanese.joins.com/html/2004/0209/20040209210751100.html
【噴水台】公民学校
『美しい青年』(訳注:労働運動を主題にした韓国映画の題名)こと全泰壱(チョン・テイル、同名映画の主人公となった労働者)が、ソウル清渓川(チョンギェチョン)の平和(ピョンファ)市場の路地で焼身自殺する7年前の1963年、15歳の同氏は大邱(テグ)に住んでいた。同氏が残した表現通り「1日がやってくるというのが怖い」生活が続いていた時代、新聞売り、靴磨きをしながら、しばらくの間、チョンオック高等公民学校を通っていた。 小学校4年を中退した同氏にとって、公民学校は、学業を続かせてくれる、ほぼ唯一の窓口だった。 しかし、宿命のような貧困は、同氏を再び、清渓川の労働者にさせた。
いまでは文盲率が低いが(12歳総人口の1%未満に推定)、独立直後の状況は異なった。 78%に達したのだ。 民主主義を移植するためには、何よりも文盲の退治が必要とされる、と判断した米軍政は、1946年に公民学校を設けた。 小学校に通えなかった人々に、短時間(1〜3年)でその過程を踏ませるとの趣旨だった。 48年の政府樹立以降、中学校課程を教える高等公民学校も設けられた。
公民と市民の概念は似ていながらも少し異なる。 市民は「国家からの自由」を目指すが、公民は「国家に参加する権利」に、さらに重みを置く。 金がないため、きちんと勉強できなかった人々にも、教育参加の機会を与えよう、という公民の哲学から、同校はスタートしたのだ。 1950年代後半、ソウルの公民学校と高等公民学校は、それぞれ約50校にのぼるほど繁盛した。 だが、小学校課程の教育が義務付けられ(59年)、学生らが減ることによって、公民学校は70年代、高等公民学校は90年代、それぞれ一ケタ数に減少する。 02年には中学校課程の教育が義務付けられ、高等公民学校の没落を促した。
最近、ソウルに一校だけとなった高等公民学校が、最後の卒業式を行った。スド高等公民学校が、開校から50年ぶりに閉校したのだ。 収益性のない状況で、これまで学校を運営してきた劉秀烈(ユ・スヨル)理事長兼校長に拍手を送りたい。 今後ソウルには、公民という名前では、キチョン公民学校だけが残るようになった。 依然として文字の読み書きができない高齢者、様々な理由から、義務教育の課程を受けられない青少年らが少なくない。 公民学校は消えても、それらへの教育機会だけは減らしてはならない。
大卒者5人に1人が失業者という時代だ。 学ぶべきものを全部学んだにもかかわらず、働き口を得られずにいる若年層は「教育に疎外された階層」の象徴であり、希望だった公民学校を、果たしてどんな視線で見ているのだろうか。
李圭淵(イ・キュヨン)社会部次長
2004.02.09 21:07
これは メッセージ 1 (mitokoumon_2002 さん)への返信です.