歯止めなき中国の海洋覇権活動
投稿者: mutekinozerosen 投稿日時: 2004/02/09 23:15 投稿番号: [105745 / 232612]
産経新聞2月7日の正論より
日本にとって大きな脅威は中国軍部(人民解放軍)、その脅威は具体的に以下の論説に見られる形で現われます。日本人には「1万年かかっても原潜を」などという発想は持ちようがない。しかし中国のいかなる脅威に対しても対処できる能力と意思をもたなくてはいけないと思います。
朝日と読売の二紙が今年の新年特集連載記事で、わが国周辺海域における中国の調査活動を大きく取り上げていた。今年が自衛隊発足五十年に当たる事から企画されたものである。
70年代中葉から南シナ海で具体化した中国の海洋調査活動がこのまま進展すると、90年代中葉から21世紀初頭にかけて東シナ海に及ぶようになる事を南シナ海の先例から推測し東シナ海でも海洋調査船による資源調査が始まると次には軍艦が出現する事を指摘して、そのような事態にならない事を筆者は念願してきた。今から十数年前の事である。
だが、マスコミも外務省も、防衛庁、自衛隊も最近まではほとんど関心を示さなかった。この問題を積極的に報道したのは産経新聞だけであったから、漸く他紙もこの問題を認知した事になる。
だが、その間に東シナ海の中国海洋調査活動は進展し、日中中間線に近い中国
側海域の平湖油田ではこの数年来上海浦東地区に天然ガスを供給している。さらに最近、平湖の拡張工事が完成し、供給量が増大したと報道されている。平湖油田に隣接する残雪油田郡の開発も具体化している。開発には米国企業が参加し、数年後にはこの海域に石油採掘施設が林立する事になる。上海を中心とする東南沿岸地域の開発に貢献する事は間違いない。
東シナ海の石油開発が進展すると、次は中間線日本海域の開発である。わが国は「中間線」の立場から東シナ海大陸棚の「主権的権利」を主張しているが、中国は日本には権利はないとの立場に立ち、90年代中葉からわが国の主張する海域で海底石油調査と推定される調査を開始し、調査中止のわが国の要請を無視して続行した。
やがて東シナ海に軍艦が出現するようになったばかりか、2000年海洋情報収集艦が情報収集活動を行いながら本州を一周する自体が起き、、漸くわが国政府、自民党も関心を示し、外務省も重い腰を挙げたがその結果、事前に通報して日本政府の許可を得るという制度ができ、中国は堂々と日本側海域で海洋調査活動を実施できるようになった、資源調査だけでなく潜水艦の航行や作戦に必要なデータを収集していると見られ、2001年に入るとわが国の南西諸島から小笠原諸島にかけての広範囲な太平洋海域で、調査活動を開始し現在も進行中である。
この海域での調査は、資源調査よりは、遠くない将来、潜水艦を展開し、機雷を敷設するための海洋調査と推定される。中国は将来予想される台湾統一の軍事行動をとる場合、米国の軍事介入、具体的には第七艦隊空母の出動を阻止する必要がある。この十数年来の中国海軍の成長には注目すべきものがあり、このままの状態が続くと台湾は海から包囲されてしまう。
昨年12月26日は毛沢東生誕110年に当たった。毛沢東は過去の人と思われがちだが、中国では、特に軍事領域では、今でも生き続けている。江沢民軍事委員会主席は自らを毛沢東、訒小平に次ぐ「三代の軍事指導者」と「神格化」した。軍事指導者としての胡錦トウについては未知数だが、彼もこの機会を活用して毛沢東の後継者にあやかろうとしている。
注目したい事は、生誕百十年を記念した何篇かの論文で、毛沢東が海軍建設に早くから関心をもっていたことが示されていることだ。朝鮮停戦交渉が進展していた53年2月、毛沢東は三泊四日、軍艦で水兵と起居をともにし、中国が百年来、帝国主義の会場からの侵略を受けた歴史を語り、「現在も太平洋は太平ではない。米空母がわが国の領土台湾を侵略している、わが国の海岸線は長いから、強い海軍を持たなければならない」と説いた。58年6月には「1万年かかっても原子力潜水艦を建造しなければならない」と檄を飛ばし、ソ連の援助が打ちきられた60年には「先端技術の開発を決断しなければならない」と述べ、自力による原水爆と弾道ミサイル開発の方針を提起した。
75年5月、82歳で病気療養先から帰郷した毛沢東は、自ら中共中央政治局会議を召集して海軍建設の強化を訴えた。これに基づいて海軍建設十ヵ年計画が策定された、翌年九月毛沢東は死去したが、今日の中国海軍は毛沢東の委嘱ニよるものであると言う。毛沢東生誕百十年の機会に、軍事領域での功績として「強い海軍」に関心が向けられたことは、中国の今後の軍事発展方向を示している。
日本にとって大きな脅威は中国軍部(人民解放軍)、その脅威は具体的に以下の論説に見られる形で現われます。日本人には「1万年かかっても原潜を」などという発想は持ちようがない。しかし中国のいかなる脅威に対しても対処できる能力と意思をもたなくてはいけないと思います。
朝日と読売の二紙が今年の新年特集連載記事で、わが国周辺海域における中国の調査活動を大きく取り上げていた。今年が自衛隊発足五十年に当たる事から企画されたものである。
70年代中葉から南シナ海で具体化した中国の海洋調査活動がこのまま進展すると、90年代中葉から21世紀初頭にかけて東シナ海に及ぶようになる事を南シナ海の先例から推測し東シナ海でも海洋調査船による資源調査が始まると次には軍艦が出現する事を指摘して、そのような事態にならない事を筆者は念願してきた。今から十数年前の事である。
だが、マスコミも外務省も、防衛庁、自衛隊も最近まではほとんど関心を示さなかった。この問題を積極的に報道したのは産経新聞だけであったから、漸く他紙もこの問題を認知した事になる。
だが、その間に東シナ海の中国海洋調査活動は進展し、日中中間線に近い中国
側海域の平湖油田ではこの数年来上海浦東地区に天然ガスを供給している。さらに最近、平湖の拡張工事が完成し、供給量が増大したと報道されている。平湖油田に隣接する残雪油田郡の開発も具体化している。開発には米国企業が参加し、数年後にはこの海域に石油採掘施設が林立する事になる。上海を中心とする東南沿岸地域の開発に貢献する事は間違いない。
東シナ海の石油開発が進展すると、次は中間線日本海域の開発である。わが国は「中間線」の立場から東シナ海大陸棚の「主権的権利」を主張しているが、中国は日本には権利はないとの立場に立ち、90年代中葉からわが国の主張する海域で海底石油調査と推定される調査を開始し、調査中止のわが国の要請を無視して続行した。
やがて東シナ海に軍艦が出現するようになったばかりか、2000年海洋情報収集艦が情報収集活動を行いながら本州を一周する自体が起き、、漸くわが国政府、自民党も関心を示し、外務省も重い腰を挙げたがその結果、事前に通報して日本政府の許可を得るという制度ができ、中国は堂々と日本側海域で海洋調査活動を実施できるようになった、資源調査だけでなく潜水艦の航行や作戦に必要なデータを収集していると見られ、2001年に入るとわが国の南西諸島から小笠原諸島にかけての広範囲な太平洋海域で、調査活動を開始し現在も進行中である。
この海域での調査は、資源調査よりは、遠くない将来、潜水艦を展開し、機雷を敷設するための海洋調査と推定される。中国は将来予想される台湾統一の軍事行動をとる場合、米国の軍事介入、具体的には第七艦隊空母の出動を阻止する必要がある。この十数年来の中国海軍の成長には注目すべきものがあり、このままの状態が続くと台湾は海から包囲されてしまう。
昨年12月26日は毛沢東生誕110年に当たった。毛沢東は過去の人と思われがちだが、中国では、特に軍事領域では、今でも生き続けている。江沢民軍事委員会主席は自らを毛沢東、訒小平に次ぐ「三代の軍事指導者」と「神格化」した。軍事指導者としての胡錦トウについては未知数だが、彼もこの機会を活用して毛沢東の後継者にあやかろうとしている。
注目したい事は、生誕百十年を記念した何篇かの論文で、毛沢東が海軍建設に早くから関心をもっていたことが示されていることだ。朝鮮停戦交渉が進展していた53年2月、毛沢東は三泊四日、軍艦で水兵と起居をともにし、中国が百年来、帝国主義の会場からの侵略を受けた歴史を語り、「現在も太平洋は太平ではない。米空母がわが国の領土台湾を侵略している、わが国の海岸線は長いから、強い海軍を持たなければならない」と説いた。58年6月には「1万年かかっても原子力潜水艦を建造しなければならない」と檄を飛ばし、ソ連の援助が打ちきられた60年には「先端技術の開発を決断しなければならない」と述べ、自力による原水爆と弾道ミサイル開発の方針を提起した。
75年5月、82歳で病気療養先から帰郷した毛沢東は、自ら中共中央政治局会議を召集して海軍建設の強化を訴えた。これに基づいて海軍建設十ヵ年計画が策定された、翌年九月毛沢東は死去したが、今日の中国海軍は毛沢東の委嘱ニよるものであると言う。毛沢東生誕百十年の機会に、軍事領域での功績として「強い海軍」に関心が向けられたことは、中国の今後の軍事発展方向を示している。
これは メッセージ 1 (mitokoumon_2002 さん)への返信です.