小泉首相の訪朝と課題について☆☆☆☆☆

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本土防衛構想定の雪中行軍

投稿者: ringo_pie03 投稿日時: 2004/02/08 12:56 投稿番号: [105566 / 232612]
(略)
明治44年(1911)1月、日本陸軍の要請を受けたオーストリアの少佐、テオドル・レルヒが新潟県高田(現在上越市)の歩兵第58連隊で14人の隊員に(スキーの)滑り方をコーチした。
目的は競技やレジャーではなく、軍事的実用だった。陸軍がなぜスキーを導入しようとしたのか。それは、9年前の明治35(1902)ねんに起きた青森・八甲田山での雪中行軍遭難事件からスキーの必要性を痛感したためだとされている。

同年1月23日、青森市の第八師団歩兵第五連隊の210人が約50キロ南東へ離れた三本木(現十和田市)まで八甲田山麓を通る雪中行軍に出発した。
だが途中で猛烈な吹雪に襲われ、199人が凍死する陸軍史上未曾有の惨事となった。
一行の足許は木と藁による「かんじき」か普通の軍靴だった。しかし想像より多い積雪に歩けなくなったものが殆どで、雪中行軍の難しさが再認識されたのだった。

この遭難事件は昭和46年になって、作家の新田次郎氏が「八甲田山死の彷徨」と言う小説に書き、さらにこれが映画化され、よく知られるようになったが、戦前まで詳細は伏せられていた。
軍にとって名誉ではなかったためもあるが、この雪中行軍が実は、二年後に実際に起きる日露戦争への備えとして計画された「軍事機密」を含んでいたからでもある。

(略)
北の大国ロシアと戦うとなれば当然、酷寒の地で衝突することもありうる。
(略)
一方、その旧第八師団と同じ青森に司令部を置く陸上自衛隊第9師団は昭和40年、当時の資料を精査・編集した「吹雪の陸奥」と言う本を出版している。その中では少し別の視点で、この雪中行軍と日露戦争との関係を分析している。あらまし次のとおりだ。

日露間に一朝事が起きた場合、ロシア艦隊が津軽海峡や陸奥湾を封鎖することが予想される。これに対抗して国土を防衛するには、青森平野と同じ青森県の三八地区(三戸郡と八戸市を含む一帯)との連絡を確保する必要があり、そのためには八甲田山麓の道を通るしかない。そして「第五連隊がこの雪中行軍を企画したことは、軍事上重要な意義を有し・・・」などと書いている。

当時旅順やウラジオストクに本拠を置くロシアの最強艦隊が日本海の制海権を握り、津軽海峡・陸奥湾から日本に攻め込む。しかも、もしそれが真冬だったら・・・。
第八師団としてはそうした最悪のシナリオを描いていたのだろう。
日本にとっては幸いなことに、そうしたシナリオは免れ、日本本土が戦場となることはなかった。
しかし雪中行軍でなくなった99人の命を無駄死にだったなどとは決していえない。

三国干渉以来強まる一方の反露感情、言を左右にして応じないロシア軍の満州からの撤退―そうした中で、軍人ばかりでなく国民もひしひしと「戦わざるを得ない」との気持ちを募らせていた。それぞれが自らのできる備えを思い描いていた。それが見本を甘く見ていたロシアを緒戦で破る原動力となったからだ。

産経新聞2月6日
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