小泉首相の訪朝と課題について☆☆☆☆☆

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ウリナラマンセー

投稿者: ringo_pie03 投稿日時: 2004/02/07 17:02 投稿番号: [105440 / 232612]
ふと、韓国の立場にも同情的になった。
もしも、もしもですよ!
あの脳無ひょ〜んを神のように崇めよとか、あのげひ〜んな朝鮮語を使わなくちゃいけないようなことになったとしたら、日本人の私は大変辛い、情けない心境になるだろうなあ、と思いました。
ありえないこととは言えど、外国に支配されると言うのは大変ですね。

で、産経新聞の連載記事紹介。

【「次は朝鮮半島」の危機感】
司馬遼太郎氏は産経新聞今日と支局の記者時代、大学を担当していた。しかし、昭和二十年代に隆盛しつつあった学生運動については「あれは義和団のようなものだ」と無視し、取材の対象としなかったと言われる。

義和団とは明治33年(1900)2月、欧米帝国主義妥当を掲げて蜂起した清国の振興宗教団体である。
西欧列強の利権競争に反発する民衆の支持をバックにキリスト教会を焼き討ちするなどしながら山東省から北京に向けて北上、清国政府もバックアップするようになった。
6月までには北京、天津を支配下におさめ、北京の各公使館を包囲してしまった。

これに対し、北京に公使を置く日本、ロシア、イギリスなど11カ国が軍事行動に移る。そして8月14日には、日本の陸軍第五師団を主力とした列強連合軍が北京を制圧した。日本では北清事変とも呼ばれている。
この結果、清国は派兵などした11ヶ国に対し賠償金を支払ったほか、公使館の軍備や自由交通の確保の名目で、各国軍隊の駐留を認めざるを得ず、半植民地化が一段と強まった。

(略)
しかし義和団の変が招いたのは列強の跋扈ばかりではなかった。
自らの領土だった満州の地で、日本とロシアが死闘を繰り広げると言う日露戦争の引き金ともなってしまったのだ。

きっかけはロシア軍による満州制圧と居座りだった。北清事変最中の明治33年7月、義和団の勢力は満州にまで及び、ロシアが清から権利を得てこの地に建設中だった東清鉄道へも攻撃を始めた。ロシア軍はこれを待っていたかのようにシベリアから一気に満州に攻め込んだのである。
そして11カ国と清国との講和がなった後も満州から出ていかない。

これに対し日本は米英両国に呼びかけてロシアに抗議、撤退させようとしたが、両国とも満州への不介入を理由に動かない。
日本はやむを得ず34年3月、単独でロシアに抗議した。

続く。
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