日本の女「キョウコ」
投稿者: salas8913 投稿日時: 2004/02/03 16:27 投稿番号: [104753 / 232612]
電脳補完録さんより
資料 : 日本の女「キョウコ」
投稿者 trycomp 投稿日時 2004-2-3 4:48:36 (227 ヒット)
清津連絡所には私が知るかぎり、二人の日本人がいた。そのうちの一人は男だったというが、私は実際に見たことはない。ただ日本名、「キョウコ」という名の日本の女を何度も見かけたが、彼女が日本人だと知るまでは別に関心はなかった。
彼女は40代前半くらいに思えたが、肌はつややかで白い方だった。よく見ると、子供のような純粋さを持っているように見えた。彼女は手編みレースの刺繍つきの足首までくる白い靴下を履いていて、ちょっと年恰好には合わない手編みの赤い服を着ていた。
彼女は赤系の色が好きなのか、見かけるたびに赤やピンクの服を着ていたし、同系色のバッグも持ち歩いていた。車を見つめる彼女の視線は驚きと懐かしさにあふれていた。
とても生き生きした目で彼女は車のあちこちを見るのだった。
彼女は車のフロントガラスに貼ってあるステッカーを見てはすらすら日本語でつぶやいているような感じで、時に小声で一人ため息をつくような仕草もしていたが、私が見たところ、『あぁ!これはどこから来た車だ』、と言っているようだった。
彼女ほ、とても感激しているような表情をしていた。今考えてみると、自分の祖国へのしみじみとした懐かしさをおぼえていたのではなかったのだろうかと思う。
彼女はきまりが悪そうな笑みを浮かべて、何も言わずに運転席下のトランクを空けるレバーを引いた。そしてトランクをのぞき、何か黄色いものを見つけると、参謀長の方に向かって走っていった。彼女は不器用な朝鮮語で、「これをもらってもいいですか?」と聞いた。参謀長がそれを手にとってじっくり見た後、「持って行ってもいい」、と言うと彼女は子供のように喜んでいた。
私は横にいた連絡所職員にあれが何なのかを聞くと、にやりと笑いながら子供用の携帯ゲーム機だと説明してくれた。当時の私はゲーム機というものを知らなかった。
事務所から警備哨所まで50メートルくらい離れているが、以前は彼女がその辺りにまで姿を現したことなどなかったので、何をしているのだろうと興味深く見てみた。
事務所裏の丘の上の地面にえんどう豆用の竹竿がずらり差込んであるのだが、彼女は乾いて固くなったえんどう豆をもいで、持っていたプラスティック製の黄色いバケツに放り込んでいた。
えんどう豆は韓国ではほとんど見たことがないが、北朝鮮の一般家庭や、軍隊、企業の垣根の簾や空き地に4、5メートルの竹棒を立てて、その下に種を植える。夏になると棒に巻きつきながら成長し、秋に実が沢山なる。
北朝鮮の人たちはよくご飯に混ぜてたべる。
私は内心『あの日本人もえんどう豆が好きなのかぁ』と思いながら事務所の方にそのまま向かったら、一人の連絡所職員が隠れるようにして彼女を見ていた。
彼の顔を知っていたので私が「どうしたんですか?」と声をかけると、苦い表情をして彼はあごで「キョウコ」を指した。
おそらく保護という名の監視をしていたのだった。
その時私は「あぁ、こういう人たちはたとえ連絡所にいても日頃から監視されているんだ」とわかって内心驚いた。
金国石著 『拉致被害者は生きている』より抜粋
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●松本 京子さん
失踪時期:1977年10月21日午後8時頃
失踪当時の年齢:29才
失踪場所:鳥取県米子市自宅近く
失踪当時の状況:自宅近くの編み物教室に行くと家を出て消息不明。普段着で現金も持っていなかった。この夜、自宅から約200メートル離れた松林で本人と2人の男が話をしているのを近くの人が目撃、「何をしている」と声をかけると男がこの人を殴り、その直後、片方のサンダルを残したまま、2人の男と松本さんは姿を消した。また事件前日、前前日の二日間不審な黒のクラウンが事件現場であるビニールハウスの前に停車していた。近所の方が『往来の邪魔になるから車をどけて欲しい』と言ったところ、車中から三人の男性が出てきたとの情報がある。
http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=1803
資料 : 日本の女「キョウコ」
投稿者 trycomp 投稿日時 2004-2-3 4:48:36 (227 ヒット)
清津連絡所には私が知るかぎり、二人の日本人がいた。そのうちの一人は男だったというが、私は実際に見たことはない。ただ日本名、「キョウコ」という名の日本の女を何度も見かけたが、彼女が日本人だと知るまでは別に関心はなかった。
彼女は40代前半くらいに思えたが、肌はつややかで白い方だった。よく見ると、子供のような純粋さを持っているように見えた。彼女は手編みレースの刺繍つきの足首までくる白い靴下を履いていて、ちょっと年恰好には合わない手編みの赤い服を着ていた。
彼女は赤系の色が好きなのか、見かけるたびに赤やピンクの服を着ていたし、同系色のバッグも持ち歩いていた。車を見つめる彼女の視線は驚きと懐かしさにあふれていた。
とても生き生きした目で彼女は車のあちこちを見るのだった。
彼女は車のフロントガラスに貼ってあるステッカーを見てはすらすら日本語でつぶやいているような感じで、時に小声で一人ため息をつくような仕草もしていたが、私が見たところ、『あぁ!これはどこから来た車だ』、と言っているようだった。
彼女ほ、とても感激しているような表情をしていた。今考えてみると、自分の祖国へのしみじみとした懐かしさをおぼえていたのではなかったのだろうかと思う。
彼女はきまりが悪そうな笑みを浮かべて、何も言わずに運転席下のトランクを空けるレバーを引いた。そしてトランクをのぞき、何か黄色いものを見つけると、参謀長の方に向かって走っていった。彼女は不器用な朝鮮語で、「これをもらってもいいですか?」と聞いた。参謀長がそれを手にとってじっくり見た後、「持って行ってもいい」、と言うと彼女は子供のように喜んでいた。
私は横にいた連絡所職員にあれが何なのかを聞くと、にやりと笑いながら子供用の携帯ゲーム機だと説明してくれた。当時の私はゲーム機というものを知らなかった。
事務所から警備哨所まで50メートルくらい離れているが、以前は彼女がその辺りにまで姿を現したことなどなかったので、何をしているのだろうと興味深く見てみた。
事務所裏の丘の上の地面にえんどう豆用の竹竿がずらり差込んであるのだが、彼女は乾いて固くなったえんどう豆をもいで、持っていたプラスティック製の黄色いバケツに放り込んでいた。
えんどう豆は韓国ではほとんど見たことがないが、北朝鮮の一般家庭や、軍隊、企業の垣根の簾や空き地に4、5メートルの竹棒を立てて、その下に種を植える。夏になると棒に巻きつきながら成長し、秋に実が沢山なる。
北朝鮮の人たちはよくご飯に混ぜてたべる。
私は内心『あの日本人もえんどう豆が好きなのかぁ』と思いながら事務所の方にそのまま向かったら、一人の連絡所職員が隠れるようにして彼女を見ていた。
彼の顔を知っていたので私が「どうしたんですか?」と声をかけると、苦い表情をして彼はあごで「キョウコ」を指した。
おそらく保護という名の監視をしていたのだった。
その時私は「あぁ、こういう人たちはたとえ連絡所にいても日頃から監視されているんだ」とわかって内心驚いた。
金国石著 『拉致被害者は生きている』より抜粋
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●松本 京子さん
失踪時期:1977年10月21日午後8時頃
失踪当時の年齢:29才
失踪場所:鳥取県米子市自宅近く
失踪当時の状況:自宅近くの編み物教室に行くと家を出て消息不明。普段着で現金も持っていなかった。この夜、自宅から約200メートル離れた松林で本人と2人の男が話をしているのを近くの人が目撃、「何をしている」と声をかけると男がこの人を殴り、その直後、片方のサンダルを残したまま、2人の男と松本さんは姿を消した。また事件前日、前前日の二日間不審な黒のクラウンが事件現場であるビニールハウスの前に停車していた。近所の方が『往来の邪魔になるから車をどけて欲しい』と言ったところ、車中から三人の男性が出てきたとの情報がある。
http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=1803
これは メッセージ 1 (mitokoumon_2002 さん)への返信です.