武闘の果て
投稿者: fabyondarone 投稿日時: 2004/01/30 23:39 投稿番号: [104172 / 232612]
武闘の果て
このような武装闘争の連続は1954年にはいると様変りした。前年3月のスターリンの死以後、朝鮮戦争の休戦、ジュネーブ会議の開催とつづき、国際共産主義運動は、その過激な革命主義の矛を一時収めたからである。日本共産党も運動路線を変更し、「日本と朝鮮の国交正常化を実現し得る新組織をつくれ」という非公然通達を流した。この結果、民戦は解散し、翌1955年には「在日朝鮮人総連合」が結成され、この組織は、いわゆる「朝総連」として今日も続いている。そして朝鮮民主主義人民共和国の方針により、「朝総連」は「日本に存在する朝鮮公民として節度を堅持し、日本の内政には一切干渉しない」との方針を確立して、その運動もひとまず沈静化するにいたった。これまで、日本の内政に干渉してきたことを自認したわけである。
「日本の中の三十八度線」の著者李瑜煥氏は、この武装闘争について次のように述べている。
当時頻発した日共系暴力事件の前衛、尖兵として犠牲に供せられ、前科ものとして在日朝鮮人の犯罪率を高め、経済的に貧困化し青年学徒で勉学を中途で放棄しなければならなくなったものは無数で、その犠牲はあまりにも大きかった。そればかりではなく、今日の日本人の対韓国・朝鮮人観に、暴力的で粗暴だというイメージを植えつける大きな要因にもなっている。
(中略)
「朝総連」は、戦後の日本のほとんどの騒擾事件において共産党とともに主役を演じ、団体等規制令で解散させられた「朝連」の後継者であることは誰の目にも明らかである。現に「総連」の議長韓徳銖氏は「朝連」の有力幹部であったという。朝鮮人は、自分たちだけが半世紀ばかり昔の日本人の悪虐な行為を忘れないつもりでいるかもしれないが、多くの日本人も、少なくとも日本政府は、わずか30年前、朝鮮人が日本国家を転覆する意図をもって暴動をおこし、革命を呼号したことを忘れてはいないのである。朝総連系の主張していることには、それだけをとりあげれば一応もっともといえることも皆無ではない。しかし国際関係において彼らが置かれている立場、そして彼らがしてきたことを考えれば、彼らの議論は大部分その基礎を失うであろう。
これらの所業が在日朝鮮人の日本企業就職問題に悪影響を及ぼした。
これは メッセージ 104165 (kimu_cyoson さん)への返信です.
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