小泉首相の訪朝と課題について☆☆☆☆☆

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反日運動を、日本の警察のデッチアゲと反論

投稿者: fabyondarone 投稿日時: 2004/01/29 18:26 投稿番号: [103944 / 232612]
騒動の自認

だが朝総連系の朝鮮人はこれらの騒擾(そうじょう)事件、反日運動を、日本の警察のデッチアゲと反論する。そこで彼らの機関紙(誌)の中から、暴動騒乱を彼ら自ら立証する、いくつかの記事の「見出し」などを掲げておこう。

「新朝鮮」(祖国防衛中央委員会の機関誌から)
○ 弾薬輸送列車を妨害
○ 軍需工場基地に果敢な工作   西日本全域で祖防闘争激発   竹槍で6里のデモ   (1952.3.30)
○ 神奈川で税務署、軍倉庫を焼打ち!!   (1952.4.15)
○ 某町では、警察署長に先制攻撃をかけ、警察署の机を、持っていた斧でたたきながら……
  婦人たちも米原駅公安室に押しかけて公安官のネクタイを締め上げながら、「お前達が強制追放列車を送り、武器輸送を護衛するけだもの野郎だ……」と吊るし上げた。(1952.5.20)
○ (警官は)吊るし上げられ、コソコソと逃げ出した。これをみた一同胞青年は、「逃がしてたまるか」と4町も追いかけ、奴らをどぶの中に突き落とし、上から馬乗りになってコテンコテンに叩きのばした。一方、同胞は夜、約50名が本署に押しかけ……   (1952.7.5)
○ 火炎ビン飛ぶ中で大村収容所を再攻撃
○ 所長の顔は傷だらけ   目黒婦人実力で愛国者奪還   (1952.7.15)
○ 雨をついて枚方兵器廠に進出   2000トンプレスを爆破   (1952.7.20)

武闘の果て

このような武装闘争の連続は1954年にはいると様変りした。前年3月のスターリンの死以後、朝鮮戦争の休戦、ジュネーブ会議の開催とつづき、国際共産主義運動は、その過激な革命主義の矛を一時収めたからである。日本共産党も運動路線を変更し、「日本と朝鮮の国交正常化を実現し得る新組織をつくれ」という非公然通達を流した。この結果、民戦は解散し、翌1955年には「在日朝鮮人総連合」が結成され、この組織は、いわゆる「朝総連」として今日も続いている。そして朝鮮民主主義人民共和国の方針により、「朝総連」は「日本に存在する朝鮮公民として節度を堅持し、日本の内政には一切干渉しない」との方針を確立して、その運動もひとまず沈静化するにいたった。これまで、日本の内政に干渉してきたことを自認したわけである。

「日本の中の三十八度線」の著者李瑜煥氏は、この武装闘争について次のように述べている。
当時頻発した日共系暴力事件の前衛、尖兵として犠牲に供せられ、前科ものとして在日朝鮮人の犯罪率を高め、経済的に貧困化し青年学徒で勉学を中途で放棄しなければならなくなったものは無数で、その犠牲はあまりにも大きかった。そればかりではなく、今日の日本人の対韓国・朝鮮人観に、暴力的で粗暴だというイメージを植えつける大きな要因にもなっている。
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