大朝鮮帝国史 ①
投稿者: hangyosyufu 投稿日時: 2004/01/20 19:39 投稿番号: [102452 / 232612]
勝手な捏造満載
第1巻
* 紀元前37年には卒本扶餘で育った高朱蒙が扶餘を脱出、卒本地方に至って高句麗を建て、続いて北満州一帯を統一した。
この時、高句麗建国の功臣 陜父が日本地域に逃げ、最初の国、多婆羅国を日本地域に建てた。
* 牙山に定着した沸流百済は、遼西,山東,日本地域を含んだ広大な海上帝国を建て、各地に担魯 (訳注:植民地) を置いて治めた。
第2巻
* 伽耶が新領地を開拓する過程で日本進出の足場として設置したのがいわゆる任那だ。 任那は韓国語では我慢して耐えるという意味で、日本の立場で解釈すれば、主君がいる国という意味だ。
* 伽耶の日本進出以後、倭列島に対する関心が高まるにつれて、百済,高句麗,新羅が争ってその地域に進出したのだが、伽耶系統であるカラ,アラ、新羅系統であるムラ,百済系統であるコム(熊),タムロ(担魯)などに関連がある地名は、皆この時期に開拓された所だ。
* 沸流百済の日本地域の統治過程で、百済皇統の継承のために全ての担魯を制圧して建てたのが、まさに天皇国家の始まりである。
この時の討伐将軍であるキョン・ジンジュは百済の大将軍であったし、天皇ソン・ソンジョも百済から派遣された百済皇族だった。
* 新羅王子 天日槍の倭列島攻略以後、本州地方をめぐる百済,新羅の間の争いが激化したのだが、高句麗もコンボルを根拠地に勢力争いに飛び込み、倭列島は戦火に包まれ、これを解決するために百済は景行王を派遣した。
これは メッセージ 1 (mitokoumon_2002 さん)への返信です.
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