成りすましは伝統:実例 倭寇
投稿者: fabyounkana 投稿日時: 2004/01/18 00:53 投稿番号: [101712 / 232612]
歴史の事実だ。同じことがここでも見て取れるね。
倭寇の主体は日本人に成りすました朝鮮人と中国人だった。
「国史大辞典
第十四巻」
平成5年
吉川弘文館
<14-15世紀の倭寇>
『倭寇』という固定概念が成立するのは、1350年以後で、行動の地域は、はじめは南朝鮮の沿岸に限られていたが、やがて高麗の首都開京(開城)の付近にも出没し、さらに内陸部の奥地にまで姿を現わすようになった。規模も次第に大きくなり、400〜500艘の船団、1000〜3000の歩卒、千数百の騎馬隊を擁する集団も出現した。
この時期の倭寇の構成員には(1)日本人のみの場合、(2)日本人と朝鮮人の連合、(3)朝鮮人のみの場合が考えられる。
(1)の日本人のみの場合、朝鮮に『三島の倭寇』という言葉があり、対馬・壱岐・肥前松浦地方の住民と推定される。(中略)
(2)・(3)の存在については、1446年(世宗28年)判中枢院事李順蒙が、その上書の中で『臣聞く、前期(高麗朝)の季、倭人は一、二に過ぎずして、本国(高麗)の民仮に倭服を着して党をなし、乱を作すと』と書いているのが注目される。倭寇のうち日本人は10〜20%にすぎなかったというのである。高麗人で倭寇と連合したのは水尺・才人とよばれた賎民と、土地制度紊乱の犠牲となって逃散流亡を余儀なくされた農民や下級官吏とである。
<16世紀の倭寇>
明では海禁政策をとり、人民が海上に出ることを禁じ、自由に海外と交易することを許さなかった。しかし、国内経済の発展は海禁の維持を困難にし、浙江・福建・広東などの地方では海禁を犯して海上密貿易に従事するものが急増した。(中略)中国ではかかる密貿易者群を一括して倭寇とよんだ。(中略)十六世紀の倭寇の特色は、構成員の大部分が中国人で占められていたことである。真倭といわれた日本人は10〜20%、偽倭・仮倭・装倭とよばれた中国人が主力であった。
「倭寇」という名辞は、もともと中国・朝鮮に起源があり、日本で発生したものではない。明治以来、その実態が本格的に解明されないまま、日本史上の名辞に取りいれられ、一般に流布してしまった。(中村栄孝著「日本と朝鮮」より)
倭寇=日本人という歴史認識を払拭させるためにも別の名称にすべきだ。
これは メッセージ 101710 (gomishuushuubukuro さん)への返信です.
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