人権は一種の所有権、財産権
投稿者: asd012lkf_the_hunter 投稿日時: 2005/01/06 14:59 投稿番号: [9516 / 52541]
人権は、一種の所有権、財産権と解釈すれば理解し易い。
つまり、自分自身を所有する権利である。
他人に精神的にも身体的にも所有されない権利である(所有されるのは奴隷や前近代的被抑圧民)。
自分自身を所有するとは、精神・身体の両方を所有する事である。
所有者は、その所有物を排他的に支配できる事を意味する。
人権がなければ、私有制度も自由主義経済もあり得ないのは、論理的に明白であろう。
個人の主体性を抑圧して栄えた国は無いし、全体を無視した利己主義も自分の首を絞めるだけだ(しかし法と文化は分けて考えるべき)。
戦前の皇国オカルト・ファシズムは、個人の精神も身体も国家(天皇)の所有物にすぎなかった(国家主義、全体主義)。
靖国神社は、まさにその洗脳装置であり、抑圧のシンボルであった。
戦争犠牲者を靖国神社に祀る事自体が、国家の為の死を美化し、その政治的支配の触手を伸張させる罠である。
愛国心教育も、精神・身体の国有化(反共のくせに)を復古させようという時代錯誤の奸計である。
自民党田舎蒙昧三流保守右翼政治家が、「人権」という言葉を口にしたがらない政治的意味を良く考えるべきである。
人権は権力への命令(権利)である。
保守右翼が「権利ばかり主張している」と憲法を批判するのは、その真意が国家や国益を建前にした個人支配への暗い欲望にすぎない事は明らかだ。
知能の低い時代錯誤の保守右翼の分際で、他者(国民)を恣意的に支配できると錯誤している傲慢で糞むかつく猿の惑星どもである。
かかる主体的近代化理念の欠片も無い猿ごときが、改憲などとは噴飯ものの錯誤であり、断固反対せざるを得ない所以である。
猿保守右翼の人権こそ、踏みにじってやるべきである(嘲笑)。
これは メッセージ 9504 (asd012lkf_the_alien さん)への返信です.
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