社会の公器
投稿者: yannacchaunamooo 投稿日時: 2003/06/01 14:37 投稿番号: [843 / 52541]
は、時代によって形を変えていくべきだろうと考える。
その昔、テレビの出現によって新聞はなくなると真剣に考えられていた。
でもそうならなかった。
それは紙で伝えられること、夜印刷して、朝手元に届くという特性が幸いしたからだ。
情報技術によって格段に情報量は増えたのだから、新聞は世論をリードしようなどと考えぬほうがよい。
新聞はもっと情報をよりプレーンに送るように努めるべきだろう。
すでに読者はそう思っているのだが、送り手はその自負が凝り固まりすぎて独善的になってきている。
独善を通り越して偽善になっているのはだれあろう朝日新聞だ。
情報の「価格」が激減している現在、新聞の拡販ごときでは生き残れない。
新聞そのものでなくその送り手の考え方が化石化してきている。
(ちょっと「天声人語」っぽい書き方だったか)
これは メッセージ 1 (jjjjjjjjjjjjjjkohe さん)への返信です.
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