「チベット侵略」
投稿者: kitachousendeikirai 投稿日時: 2004/09/30 19:21 投稿番号: [7282 / 52541]
チベットって知ってる?ユーラシア大陸中東部にある、南をヒマラヤ山脈と、他を西部支那地方と接する「世界の屋根」と呼ばれる所ね。
標高四千五百メートルの高地に位置するチベットは元々、宗教的権威であるダライ・ラマ法王(チベット仏教・ラマ教)が国家元首として治める、政教一致国家だったのね。因みに現在政教一致の国と言えば、ローマにあるバチカン市国か、イスラム原理主義諸国くらいね。
この国は清王朝時代から清の一部的な扱いを受けていたんだけれど、清朝が辛亥革命で倒されると、独立したのね(国民党政権はこれを認めていないけど)。一貫して親日的な外交スタンスを取っていた国で、第二次世界大戦中は連合国の強い要請を拒絶して、最後まで中立を維持した数少ない国なの。そして今この国は、残念な事に北京政府「中華人民共和国」の植民地なの。
悲劇の発端は西暦1949年の共産党による北京政府「中華人民共和国」の成立に始まるの。
北京政府は当初から国民党政権同様「西蔵(チベット)は中国の一部」と主張して、翌1950年に軍事侵攻を強行。'51年に「十七条協定」を強制して締結させて、事実上の併合を宣言したの。朝鮮人は日帝三十六年支配と言うけど、今年でチベットは「中華帝国五十年支配」半世紀以上も植民地のままで続いているの。
「十七条協定」は、名目上チベットの自治を認めて(西蔵自治区)チベットの風俗伝統を尊重する事が確認されていたんだけれど、実際に北京政府が行った事は、チベット民族文化への徹底的な破壊活動だったの。
特にチベット仏教への弾圧は厳しくて、布教活動が禁止され、次々と寺院が破壊されたの。宗教を敵視する共産党による弾圧ね。
1959年、弾圧に抵抗する民衆が「ラサ決起」の挙に出たんだけど、駐留していた人民解放軍(北京政府軍)に鎮圧され、粛清(虐殺)されたのね。これが後に「血塗られた金曜日」と呼ばれた事件ね。
そこで、ダラ・イラマ十四世がインドに亡命して「チベット亡命政府」を樹立したの。今日まで続く亡命政府は、内閣と人民代表委員会(国会)を擁して、1963年には民主的な憲法典を発布してるのね。
これ以後も、北京政府による弾圧は執拗に続けられて、1966年の悪名名高き「文化大革命」では、チベット的な伝統文化は全て弾圧・破壊の対象になったの。
チベット人の抵抗は今でも続いていて、1989年に起きた決起では、北京政府による千人近い虐殺が行われているの。
北京政府も馬鹿じゃなくて、チベット「自治区」誕生('65)以降「民族同化政策」によって漢民族の流入が進められて、現在の人口比ではチベット人六百五十万人よりも、漢民族七百五十万人と漢民族の方が上回るという結果になっているの。文字道理「植民地化」ってワケね。
1987年には、ダライ・ラマ十四世がアメリカで「和平五項目提案」を発表し、翌年にはヨーロッパ議会による妥協案が提出されたけど、北京政府はこれらを悉く拒絶し続けているの。
更に北京政府は1995年には、ダライ・ラマ十四世の後継者問題に介入して、当時五歳の幼児を「パンチェン・ラマ十一世」としての擁立を強行して、欧米各国の非難を浴びてるの。昨年一月に起きた、チベット仏教の活仏カルマパ十七世がチベットを出国して、ヒマラヤ山脈を越えてインドに亡命した事件なんかは、記憶にある人もいるんじゃないかな?
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Stock/1099/tibet.html
標高四千五百メートルの高地に位置するチベットは元々、宗教的権威であるダライ・ラマ法王(チベット仏教・ラマ教)が国家元首として治める、政教一致国家だったのね。因みに現在政教一致の国と言えば、ローマにあるバチカン市国か、イスラム原理主義諸国くらいね。
この国は清王朝時代から清の一部的な扱いを受けていたんだけれど、清朝が辛亥革命で倒されると、独立したのね(国民党政権はこれを認めていないけど)。一貫して親日的な外交スタンスを取っていた国で、第二次世界大戦中は連合国の強い要請を拒絶して、最後まで中立を維持した数少ない国なの。そして今この国は、残念な事に北京政府「中華人民共和国」の植民地なの。
悲劇の発端は西暦1949年の共産党による北京政府「中華人民共和国」の成立に始まるの。
北京政府は当初から国民党政権同様「西蔵(チベット)は中国の一部」と主張して、翌1950年に軍事侵攻を強行。'51年に「十七条協定」を強制して締結させて、事実上の併合を宣言したの。朝鮮人は日帝三十六年支配と言うけど、今年でチベットは「中華帝国五十年支配」半世紀以上も植民地のままで続いているの。
「十七条協定」は、名目上チベットの自治を認めて(西蔵自治区)チベットの風俗伝統を尊重する事が確認されていたんだけれど、実際に北京政府が行った事は、チベット民族文化への徹底的な破壊活動だったの。
特にチベット仏教への弾圧は厳しくて、布教活動が禁止され、次々と寺院が破壊されたの。宗教を敵視する共産党による弾圧ね。
1959年、弾圧に抵抗する民衆が「ラサ決起」の挙に出たんだけど、駐留していた人民解放軍(北京政府軍)に鎮圧され、粛清(虐殺)されたのね。これが後に「血塗られた金曜日」と呼ばれた事件ね。
そこで、ダラ・イラマ十四世がインドに亡命して「チベット亡命政府」を樹立したの。今日まで続く亡命政府は、内閣と人民代表委員会(国会)を擁して、1963年には民主的な憲法典を発布してるのね。
これ以後も、北京政府による弾圧は執拗に続けられて、1966年の悪名名高き「文化大革命」では、チベット的な伝統文化は全て弾圧・破壊の対象になったの。
チベット人の抵抗は今でも続いていて、1989年に起きた決起では、北京政府による千人近い虐殺が行われているの。
北京政府も馬鹿じゃなくて、チベット「自治区」誕生('65)以降「民族同化政策」によって漢民族の流入が進められて、現在の人口比ではチベット人六百五十万人よりも、漢民族七百五十万人と漢民族の方が上回るという結果になっているの。文字道理「植民地化」ってワケね。
1987年には、ダライ・ラマ十四世がアメリカで「和平五項目提案」を発表し、翌年にはヨーロッパ議会による妥協案が提出されたけど、北京政府はこれらを悉く拒絶し続けているの。
更に北京政府は1995年には、ダライ・ラマ十四世の後継者問題に介入して、当時五歳の幼児を「パンチェン・ラマ十一世」としての擁立を強行して、欧米各国の非難を浴びてるの。昨年一月に起きた、チベット仏教の活仏カルマパ十七世がチベットを出国して、ヒマラヤ山脈を越えてインドに亡命した事件なんかは、記憶にある人もいるんじゃないかな?
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Stock/1099/tibet.html
これは メッセージ 7281 (amekazearare さん)への返信です.