自己責任にもいろいろあると思います。
投稿者: kuecoe 投稿日時: 2004/06/02 19:47 投稿番号: [4857 / 52541]
以下、他のトピで前に投稿したもので失礼します。
最近、橋田さんらのイラクでの事件があってから、また、自己責任論がいろいろとでてきました。確かこの前の朝生でもやっていました。
自己責任とは、この場合、4種類の自己責任があったと思います。
まず、第1に事件に巻き込まれるまでの、当事者と国の責任。
そして、第2に事件に巻き込まれた後の、当事者と国の責任。
事件に巻き込まれるまでの当事者の責任は、当事者がその判断で自由を行使して行動するのですから、当事者にはそれに伴う大きな自己責任が発生しています。例えば、イラクの情報を詳細に収集し、できるだけの装備を調え、自らの安全を自ら確保すべく用意する責任です(責任当Aとします)。
事件に巻き込まれるまでの国の責任は、国が収集した情報を開示し、法律の範囲内で可能な限り、当事者が正確な判断をするようにすることで、例えば、危険情報を開示し、イラクからの退避勧告をだすなりすることです(責任国Aとします)。
事件に巻き込まれた後の当事者の責任は、これはどのような事件に巻き込まれるかにより大きくことなり、イラク3バカのような拉致の場合は、主導権はテロリストにあるわけですから、責任は大変小さなものです(責任当Bとします)。
事件に巻き込まれた後の国の責任は、いうまでもなく自国民の命はできるだけのことをして救助するという大きな責任が生じます(責任国Bとします)。
イラク3バカは責任当Aについてどれだけ果たしていたか。これは、彼らのインタビュー会見を見ても解るように、ほとんど果たしていなかった。これに対し、橋田さんらは本当に十分な責任を果たしていた。この点が決定的に大きく異なる点です。
国は責任国Aについて、イラク情報を公開して十分その責任を果たしていたといえます。
では、イラク3バカは責任当Bについて、どうだったか、これは人質になっていたからそのままで、論ずる必要もありません。責任はありません。
国は責任国Bにつて、国益に照らし、法律の下、できるだけのことをしていたのではないでしょうか。
で、当事者の自己責任を責めるのは良くないといった報道が最近みられます。しかし、自己責任を責めている意見は、責任当Aについて責めているのであって、責任当Bについて責めているのではないのです。評論家及びマスコミは、「責任当Bはない」、と偉そうに言っていますが、そんなことは、だれでも知っていることで、私達が非難しているのは責任当Aについてなのです。
また、マスコミの中には、政治家や行政が当事者の責任について言及することを非難する論調がありますが、私はおかしいと思います。なぜなら、責任当Aに言及することにより、今後の人々(当事者)に対して警鈴をならし、より、安全について真剣に考え、準備することにつながり、これも国としての責任国Aであると考えるからです。
今回、イラク3バカについては、おもしろいことが起こりました。国が責任国Bを果たそうとしている最中に、当事者家族が国を責め、勝手にテロリスト化したのです。つまり、「私達もテロリストさんたちの仲間なのだから、あなた方の誘拐した人達は仲間を誘拐したのと同じですよ」と行動し始めたのです(実際、イラク3バカは、ゲストのように扱われたようですし)。
これは、見ていて極めて奇異に見えます。家族がこのような作戦をとったため、自作自演と取られても、それは、仕様の無いことで、自業自得のことなのです。
一口に自己責任と言っても、それが何の自己責任のことを指しているのか、それをはっきりと区別して、考える必要があると思います。
最近、橋田さんらのイラクでの事件があってから、また、自己責任論がいろいろとでてきました。確かこの前の朝生でもやっていました。
自己責任とは、この場合、4種類の自己責任があったと思います。
まず、第1に事件に巻き込まれるまでの、当事者と国の責任。
そして、第2に事件に巻き込まれた後の、当事者と国の責任。
事件に巻き込まれるまでの当事者の責任は、当事者がその判断で自由を行使して行動するのですから、当事者にはそれに伴う大きな自己責任が発生しています。例えば、イラクの情報を詳細に収集し、できるだけの装備を調え、自らの安全を自ら確保すべく用意する責任です(責任当Aとします)。
事件に巻き込まれるまでの国の責任は、国が収集した情報を開示し、法律の範囲内で可能な限り、当事者が正確な判断をするようにすることで、例えば、危険情報を開示し、イラクからの退避勧告をだすなりすることです(責任国Aとします)。
事件に巻き込まれた後の当事者の責任は、これはどのような事件に巻き込まれるかにより大きくことなり、イラク3バカのような拉致の場合は、主導権はテロリストにあるわけですから、責任は大変小さなものです(責任当Bとします)。
事件に巻き込まれた後の国の責任は、いうまでもなく自国民の命はできるだけのことをして救助するという大きな責任が生じます(責任国Bとします)。
イラク3バカは責任当Aについてどれだけ果たしていたか。これは、彼らのインタビュー会見を見ても解るように、ほとんど果たしていなかった。これに対し、橋田さんらは本当に十分な責任を果たしていた。この点が決定的に大きく異なる点です。
国は責任国Aについて、イラク情報を公開して十分その責任を果たしていたといえます。
では、イラク3バカは責任当Bについて、どうだったか、これは人質になっていたからそのままで、論ずる必要もありません。責任はありません。
国は責任国Bにつて、国益に照らし、法律の下、できるだけのことをしていたのではないでしょうか。
で、当事者の自己責任を責めるのは良くないといった報道が最近みられます。しかし、自己責任を責めている意見は、責任当Aについて責めているのであって、責任当Bについて責めているのではないのです。評論家及びマスコミは、「責任当Bはない」、と偉そうに言っていますが、そんなことは、だれでも知っていることで、私達が非難しているのは責任当Aについてなのです。
また、マスコミの中には、政治家や行政が当事者の責任について言及することを非難する論調がありますが、私はおかしいと思います。なぜなら、責任当Aに言及することにより、今後の人々(当事者)に対して警鈴をならし、より、安全について真剣に考え、準備することにつながり、これも国としての責任国Aであると考えるからです。
今回、イラク3バカについては、おもしろいことが起こりました。国が責任国Bを果たそうとしている最中に、当事者家族が国を責め、勝手にテロリスト化したのです。つまり、「私達もテロリストさんたちの仲間なのだから、あなた方の誘拐した人達は仲間を誘拐したのと同じですよ」と行動し始めたのです(実際、イラク3バカは、ゲストのように扱われたようですし)。
これは、見ていて極めて奇異に見えます。家族がこのような作戦をとったため、自作自演と取られても、それは、仕様の無いことで、自業自得のことなのです。
一口に自己責任と言っても、それが何の自己責任のことを指しているのか、それをはっきりと区別して、考える必要があると思います。
これは メッセージ 4856 (nannpokuv さん)への返信です.