Re: 「君が代」の「君」は天皇ではない
投稿者: maximirion 投稿日時: 2011/01/25 05:45 投稿番号: [47969 / 52541]
「政府見解」でも、「君」は「天皇」になっていますよ。>
一時、時代の趨勢でそういう見解を出しただけだろ。
その後偏向したことが併記されてるじゃないか。
このサイトの私見に、なにか価値があるのかい。
↓
「君が代」の政府解釈の矛盾と修身教科書での本当の解釈
http://www003.upp.so-net.ne.jp/eduosk/tisikii-kimigayokaisyaku.htm
↑
概ね意味のない推論の堂々巡りだから多くは語らん。
末尾のこの件で、それまでの記事は確実に無駄なものになってるね。
↓
まるで、現在の文科省・教育委員会・校長の言葉そのままです。言うまでもなく日本国憲法では、主権者は国民です。天皇ではありません。なぜ主権者である国民が「象徴」、単なるシンボルでしかないものに「敬愛」や「尊敬」を強制されなければならないのでしょうか。私たちは、戦前のような「臣民」や「赤子」ではありません。
日本国憲法では、「天皇は国民の象徴」と位置付け「主権者は国民」としているのだから、当然にして「天皇は主権者の象徴」ってことだ。
それを何故、わざわざ”「象徴」、単なるシンボルでしかないもの”という摩り替えをするのか?
白痴でない限り、論理を曲げて虚偽を騙る観念論者ということだ。
「敬愛」や「尊敬」を強制されているわけでもないし、天皇自身が「強制は好くないですね」と仰るくらいだ。
国際常識に沿った礼を払って節度ある態度を保ちなさいということだ。
それがなぜかも分らず、”「敬愛」や「尊敬」を強制されなければならない”だとか”戦前のような「臣民」や「赤子」ではありません。”などと言いだすこと自体、「民主主義」も「自由と平等」も理解してない証拠だ。
主権者国民の象徴であることを多くの国民が受け入れている現状を顧みず、自分と限られた仲間の無知な観念を押し通す為に、貶めたり否定するという行為は、己の仲間以外の主権者を蔑にする利己主義の顕れで公民意識の欠如を意味する。
勝者の尻馬に乗って、己可愛さに自分の帰属する民族とその伝統や歴史から逃げ、悪し様に敗者の責任を言い募って他者に贖罪を求める根なし草根性だ。
そんな根なし草だから、明治維新で志した前時代までの階級制度や差別意識の解消を願っての「一君万民」という平等社会の理念が、旧社会の特権意識を忘れられずに爵位制度を導入させた勢力との鬩ぎ合いを経て大正デモクラシーに繋がったことも知らないのだろう。
「一君万民」「君民共治」として自由と平等に拠って立つ社会を目指す形として「国民=臣民」と位置付け、平等で在らねばならない縛りとして「国民=臣民=赤子」という方便がなされたってことだ。
その中には、維新による西洋近代化の中であって、公民意識を持ち親兄弟家族を敬い大切にし、隣人を尊んで支え合い協力し合う平和な国内生活で国力を充実させ、外的な侵略行為を総力を以て阻止しようという意志の顕れだ。
日本国憲法下の日本のように、民主主義を志す国家に於いては、国家は主権者国民の総体の象徴概念として主権国家であり、国旗も国歌も同じく象徴だ。
これらは、二束三文で法制化すれば直ぐにでも制定でき開廷できるが、少なくとも歴史や伝統慣習から引っ張り出して在る時期に国家や国旗として制定したのであれば、途中他国に対する不義があったり反省すべき事象が歴史に刻まれたとしても、国歌国旗を引き継ぐことで忘れず自省しより建設的な国家国民の社会を作っていくのが、責任を果たすというものだ。
善きも悪しきも刻んできた国歌国旗や国民の傍らで常にその事実と向き合い関わってきた皇室の存在を引き継ぐことこそが、歴史に於いての様々な国家の責任を持つということだ。
嫌なことから目を背け、その当時の象徴を捨て去って、その贖罪を他の国民に押し付けようなどという不届きものは、取り締まられて当然なのだよ。
一時、時代の趨勢でそういう見解を出しただけだろ。
その後偏向したことが併記されてるじゃないか。
このサイトの私見に、なにか価値があるのかい。
↓
「君が代」の政府解釈の矛盾と修身教科書での本当の解釈
http://www003.upp.so-net.ne.jp/eduosk/tisikii-kimigayokaisyaku.htm
↑
概ね意味のない推論の堂々巡りだから多くは語らん。
末尾のこの件で、それまでの記事は確実に無駄なものになってるね。
↓
まるで、現在の文科省・教育委員会・校長の言葉そのままです。言うまでもなく日本国憲法では、主権者は国民です。天皇ではありません。なぜ主権者である国民が「象徴」、単なるシンボルでしかないものに「敬愛」や「尊敬」を強制されなければならないのでしょうか。私たちは、戦前のような「臣民」や「赤子」ではありません。
日本国憲法では、「天皇は国民の象徴」と位置付け「主権者は国民」としているのだから、当然にして「天皇は主権者の象徴」ってことだ。
それを何故、わざわざ”「象徴」、単なるシンボルでしかないもの”という摩り替えをするのか?
白痴でない限り、論理を曲げて虚偽を騙る観念論者ということだ。
「敬愛」や「尊敬」を強制されているわけでもないし、天皇自身が「強制は好くないですね」と仰るくらいだ。
国際常識に沿った礼を払って節度ある態度を保ちなさいということだ。
それがなぜかも分らず、”「敬愛」や「尊敬」を強制されなければならない”だとか”戦前のような「臣民」や「赤子」ではありません。”などと言いだすこと自体、「民主主義」も「自由と平等」も理解してない証拠だ。
主権者国民の象徴であることを多くの国民が受け入れている現状を顧みず、自分と限られた仲間の無知な観念を押し通す為に、貶めたり否定するという行為は、己の仲間以外の主権者を蔑にする利己主義の顕れで公民意識の欠如を意味する。
勝者の尻馬に乗って、己可愛さに自分の帰属する民族とその伝統や歴史から逃げ、悪し様に敗者の責任を言い募って他者に贖罪を求める根なし草根性だ。
そんな根なし草だから、明治維新で志した前時代までの階級制度や差別意識の解消を願っての「一君万民」という平等社会の理念が、旧社会の特権意識を忘れられずに爵位制度を導入させた勢力との鬩ぎ合いを経て大正デモクラシーに繋がったことも知らないのだろう。
「一君万民」「君民共治」として自由と平等に拠って立つ社会を目指す形として「国民=臣民」と位置付け、平等で在らねばならない縛りとして「国民=臣民=赤子」という方便がなされたってことだ。
その中には、維新による西洋近代化の中であって、公民意識を持ち親兄弟家族を敬い大切にし、隣人を尊んで支え合い協力し合う平和な国内生活で国力を充実させ、外的な侵略行為を総力を以て阻止しようという意志の顕れだ。
日本国憲法下の日本のように、民主主義を志す国家に於いては、国家は主権者国民の総体の象徴概念として主権国家であり、国旗も国歌も同じく象徴だ。
これらは、二束三文で法制化すれば直ぐにでも制定でき開廷できるが、少なくとも歴史や伝統慣習から引っ張り出して在る時期に国家や国旗として制定したのであれば、途中他国に対する不義があったり反省すべき事象が歴史に刻まれたとしても、国歌国旗を引き継ぐことで忘れず自省しより建設的な国家国民の社会を作っていくのが、責任を果たすというものだ。
善きも悪しきも刻んできた国歌国旗や国民の傍らで常にその事実と向き合い関わってきた皇室の存在を引き継ぐことこそが、歴史に於いての様々な国家の責任を持つということだ。
嫌なことから目を背け、その当時の象徴を捨て去って、その贖罪を他の国民に押し付けようなどという不届きものは、取り締まられて当然なのだよ。
これは メッセージ 47934 (kt19790776 さん)への返信です.