Re: 「法務官僚の責任を問え」と大谷昭宏
投稿者: yume_sarasa1211 投稿日時: 2010/11/23 17:03 投稿番号: [47611 / 52541]
古典個展】立命館大教授・加地伸行
多数派重視のふわふわ分子
2010.6.27 03:09
世論なるものは、ふわふわと浮き漂っている。
世論が民主主義だ、多数意見に従えといわれても、
ふわふわ世論がどうして最高価値となるのか、私には分からない。
世には民衆を扇動する連中がいる。アジテーターである。
彼らは、人々が集合したときに現れ、演説して議論を導いた。
五十数年前、私が学生のころ、学生運動が盛んであった。
どこでもここでも集会があり、必ずアジテーターが現れてどなりまくった。
しかしそれは、自分の意見に同意しない者は人間ではないと言わんばかりの
感情論であり、論理性や知性のかけらもなかった。
ところが、そういうアジ演説に酔うバカがたくさんいたのである。
五十数年前の大学生は、今どきのそれと異なり、しっかりしていたと
思われているが、実際はそうではなくて、大半はふわふわ分子であった。
だから、ちょっとしたアジ演説を聞くと、無批判にそうだそうだとヨイショ
するのが多かったのである。それが京大生の実態であった。
そこから推量すれば、おそらく他大学の学生もほぼ同様であっただろう。
それから五十数年を経たが、事情に変わりはない。
世はふわふわ分子の海である。しかし、異なる点がある。
今の人は集合するということをしなくなってきている。
今日の大学では学生の集合など見かけない。
集まっているとすれば、ライブショーだの講演会だのであって、
集合の意味が違う。今の学生は、個か孤か知らんが、集まりはしない。
けれども、大半は昔と同じくミーハーふわふわである。
★★★当然、一般社会も同じであって、
あい変わらずアジテーターに引っ張られている。
ただし、今は人の集合がないので、アジテーターはテレビに登場している。
いわゆるコメンテーターである。★★★
彼らは昔のアジテーターのような大声で長々としゃべることはしないが、
あい変わらず感情的結論だけを断定的に言う。
アジテーターの本質は変わっていない。
さて、選挙。
テレビのコメンテーターらは、特定の政党に投票するよう誘導・扇動している。
彼らの関心は、どの政党が多数派になるかという話ばかりである。
少数議員しかいない政党など何の力もないとして無視し、
多数決、世論第一とふわふわしている。
しかし、彼らが本当に世論が大切と言うのならば、弱小の候補者たちの
意見をこそ、この機会にしっかりと世に伝えるべきではないのか。
大政党公認の傲慢(ごうまん)な候補者は、小政党の弱小候補者を
泡沫候補と嘲(あざけ)っている。テレビのコメンテーターらも同様である。
彼らの頭の中は、選挙を機会に民主主義とは何かと考える方向はなく、
ひたすら数は力というそろばん勘定だけである。
小政党候補者の意見の中には、耳を傾けるべきものがある。
いや、意見だけが重要なのではない。たとい泡沫候補と嘲られようとも、
己の志を世に訴える勇気はりっぱなものではないか。
『論語』子罕(しかん)篇に曰(いわ)く、
「(多数の)三軍(さんぐん)ありとて、(彼らの心が一つでなければ)
帥(すい)(司令官)を奪(うば)うべし(奪うことができる)。
(しかし)匹夫(ひっぷ)(たった一人の男)とて(心が堅(かた)ければ、
その)志(こころざし)を奪うべからず」と。(かじ のぶゆき)
2010.6.27 03:09
世論なるものは、ふわふわと浮き漂っている。
世論が民主主義だ、多数意見に従えといわれても、
ふわふわ世論がどうして最高価値となるのか、私には分からない。
世には民衆を扇動する連中がいる。アジテーターである。
彼らは、人々が集合したときに現れ、演説して議論を導いた。
五十数年前、私が学生のころ、学生運動が盛んであった。
どこでもここでも集会があり、必ずアジテーターが現れてどなりまくった。
しかしそれは、自分の意見に同意しない者は人間ではないと言わんばかりの
感情論であり、論理性や知性のかけらもなかった。
ところが、そういうアジ演説に酔うバカがたくさんいたのである。
五十数年前の大学生は、今どきのそれと異なり、しっかりしていたと
思われているが、実際はそうではなくて、大半はふわふわ分子であった。
だから、ちょっとしたアジ演説を聞くと、無批判にそうだそうだとヨイショ
するのが多かったのである。それが京大生の実態であった。
そこから推量すれば、おそらく他大学の学生もほぼ同様であっただろう。
それから五十数年を経たが、事情に変わりはない。
世はふわふわ分子の海である。しかし、異なる点がある。
今の人は集合するということをしなくなってきている。
今日の大学では学生の集合など見かけない。
集まっているとすれば、ライブショーだの講演会だのであって、
集合の意味が違う。今の学生は、個か孤か知らんが、集まりはしない。
けれども、大半は昔と同じくミーハーふわふわである。
★★★当然、一般社会も同じであって、
あい変わらずアジテーターに引っ張られている。
ただし、今は人の集合がないので、アジテーターはテレビに登場している。
いわゆるコメンテーターである。★★★
彼らは昔のアジテーターのような大声で長々としゃべることはしないが、
あい変わらず感情的結論だけを断定的に言う。
アジテーターの本質は変わっていない。
さて、選挙。
テレビのコメンテーターらは、特定の政党に投票するよう誘導・扇動している。
彼らの関心は、どの政党が多数派になるかという話ばかりである。
少数議員しかいない政党など何の力もないとして無視し、
多数決、世論第一とふわふわしている。
しかし、彼らが本当に世論が大切と言うのならば、弱小の候補者たちの
意見をこそ、この機会にしっかりと世に伝えるべきではないのか。
大政党公認の傲慢(ごうまん)な候補者は、小政党の弱小候補者を
泡沫候補と嘲(あざけ)っている。テレビのコメンテーターらも同様である。
彼らの頭の中は、選挙を機会に民主主義とは何かと考える方向はなく、
ひたすら数は力というそろばん勘定だけである。
小政党候補者の意見の中には、耳を傾けるべきものがある。
いや、意見だけが重要なのではない。たとい泡沫候補と嘲られようとも、
己の志を世に訴える勇気はりっぱなものではないか。
『論語』子罕(しかん)篇に曰(いわ)く、
「(多数の)三軍(さんぐん)ありとて、(彼らの心が一つでなければ)
帥(すい)(司令官)を奪(うば)うべし(奪うことができる)。
(しかし)匹夫(ひっぷ)(たった一人の男)とて(心が堅(かた)ければ、
その)志(こころざし)を奪うべからず」と。(かじ のぶゆき)
これは メッセージ 47606 (bpqcoxbuz さん)への返信です.