Re:「悪魔の証明」という言葉があります
投稿者: watanabe1937 投稿日時: 2004/05/18 00:11 投稿番号: [4696 / 52541]
miniiwaさん:>やっていない事を証明することは、とても難しい事です。
この場合は、本人がやっていたとする資料が複数ありますので、歴史の議論としては、「やっていない」証明は天使でも難しいでしょう。あえていえば、すべての「やった」という証拠が間違っていることを論証すれば、「やっていない」ことを証明したといえるでしょう。
>ですが、百人斬りについては、私は悪魔の証明が簡単にできると考えています。
>理由は単純「百人斬りができるような日本刀は当時、存在しないし、現在の金属加工技術の粋を集めても作る事は出来ない。」ということです。
まず、現在行われている、本多勝一氏他を被告とする「百人斬り競争」の裁判について話題を限定いたします。
本多氏が虚偽虚妄によって死者の名誉を毀損していなければ名誉毀損はなりたちません。「百人斬りができるような日本刀は当時、存在しない」かどうかは、名誉毀損と関係はありません。
本多氏の記述は虚偽虚妄に基づくものではなく、下記1.2.のように相当の理由があり、名誉毀損でないのは明らかです。これは、前の投稿で引用した『落日燃ゆ』裁判の判決を見ていただければ、理解していただけるでしょう。『落日燃ゆ』では、女性関係について新聞報道や取材に基付いて書かれたもので、かなりきわどいものです。本多氏の場合、私の知る限り、野田、向井氏に対して人格を問題とした記述はないと思います。仮に、そういう個所があったとしても、資料に基づいていれば、虚偽によるものとは言えませんので死者に対する名誉毀損とはなりません。
1.野田、向井両氏が「百人斬り競争」をしていたという報道が当時あった(しかも、野田氏の、やっていたという手紙が掲載された新聞も存在した)
2.資料によって明らかにされた当時の状況や、証言などの証拠に基づいて、東京日日の記事は記者の「創作」ではなく、その競争の実態は「据もの斬り」であったと結論したもので、虚偽虚妄によるものではない。
>百人斬りがあったという人は、あった以上できる日本刀が存在すると考えているのでしょうが、お聞きしたいのはどうやって、誰が作れたのかという事です。
歴史の事実について話しを戻します。
一本の愛刀で「百人斬り」をしたかのような発言は野田氏らによるもので、本多氏ではありません。
しかし、「百人斬りができるような日本刀は当時、存在しない」というのは、何を根拠としておられるのでしょうか?当時、日本刀を使っていた人さえ疑問に思っていなかったことです。
成瀬関次氏は軍属として日本刀を修理して戦地を巡回した経験から、多数の記事を書いています。それらの中には、何十人を斬ったという日本刀について書かれた記事が少なからずありますが、成瀬氏は何の疑問も呈していません。例えば、こういう記事があります。
-- -
斬つた数を五十人までは数えたが遂に数えきれなかつたといふ大場部隊某中隊の「隊宝」は無銘の古刀であつたが刃こぼれは栗粒位のものが五つ、刃まくれが二ケ所、身巾九分、重ね二分二厘、長さ二尺三寸七分、反り六分五厘といふ備前物で、刀屋に見せたら「数打ち物」として片づけられるものであらう。
[成瀬関次「戦線の日本刀」『文芸春秋』昭和14年2月号,p.228]
...実際にあたつて見て、元来から物打に二分からの刃ギレのあつた刀で、敵十五六人を斬つても何ともならず、却つて他の部分に刃こぼれの出来てゐたものも見、切先が蛇の口(口を閉ぢたる)のやうな刀で七名から斬つたのも、他に癖はついても、其の部分は何ともなつてゐなかつた。
概して日本刀は強靭なものである。...
[成瀬関次「戦線物斬り譚」『文芸春秋』昭和14年5月号,p291]
-- -
成瀬氏によれば、日本刀が曲った場合、ある程度直せるし、刃こぼれは砥げば性能については回復できるようです。日本刀は材質や作り方で性能は千差万別ですが、刀の消耗を考えずにただ斬るだけあれば、一般的には「百人斬り」は不可能ではないようです。子どもの頃、我が家では刃先を切断した刃渡り20〜30cmくらいの日本刀を鉈代わりに使っていましたが、ばんばん木を切断していました。刃を短くしたせいもあるでしょうが、丈夫なものでした。
「百人斬り競争」議論になると、我が国伝統の技術をなぜか低く評価する人たちが現れます。
>物理的に不可能な事で、人を有罪にはできない、私はそう考えます。
現在行われている「百人斬り競争」の裁判のことではないので、コメントは控えさせていただきます。
この場合は、本人がやっていたとする資料が複数ありますので、歴史の議論としては、「やっていない」証明は天使でも難しいでしょう。あえていえば、すべての「やった」という証拠が間違っていることを論証すれば、「やっていない」ことを証明したといえるでしょう。
>ですが、百人斬りについては、私は悪魔の証明が簡単にできると考えています。
>理由は単純「百人斬りができるような日本刀は当時、存在しないし、現在の金属加工技術の粋を集めても作る事は出来ない。」ということです。
まず、現在行われている、本多勝一氏他を被告とする「百人斬り競争」の裁判について話題を限定いたします。
本多氏が虚偽虚妄によって死者の名誉を毀損していなければ名誉毀損はなりたちません。「百人斬りができるような日本刀は当時、存在しない」かどうかは、名誉毀損と関係はありません。
本多氏の記述は虚偽虚妄に基づくものではなく、下記1.2.のように相当の理由があり、名誉毀損でないのは明らかです。これは、前の投稿で引用した『落日燃ゆ』裁判の判決を見ていただければ、理解していただけるでしょう。『落日燃ゆ』では、女性関係について新聞報道や取材に基付いて書かれたもので、かなりきわどいものです。本多氏の場合、私の知る限り、野田、向井氏に対して人格を問題とした記述はないと思います。仮に、そういう個所があったとしても、資料に基づいていれば、虚偽によるものとは言えませんので死者に対する名誉毀損とはなりません。
1.野田、向井両氏が「百人斬り競争」をしていたという報道が当時あった(しかも、野田氏の、やっていたという手紙が掲載された新聞も存在した)
2.資料によって明らかにされた当時の状況や、証言などの証拠に基づいて、東京日日の記事は記者の「創作」ではなく、その競争の実態は「据もの斬り」であったと結論したもので、虚偽虚妄によるものではない。
>百人斬りがあったという人は、あった以上できる日本刀が存在すると考えているのでしょうが、お聞きしたいのはどうやって、誰が作れたのかという事です。
歴史の事実について話しを戻します。
一本の愛刀で「百人斬り」をしたかのような発言は野田氏らによるもので、本多氏ではありません。
しかし、「百人斬りができるような日本刀は当時、存在しない」というのは、何を根拠としておられるのでしょうか?当時、日本刀を使っていた人さえ疑問に思っていなかったことです。
成瀬関次氏は軍属として日本刀を修理して戦地を巡回した経験から、多数の記事を書いています。それらの中には、何十人を斬ったという日本刀について書かれた記事が少なからずありますが、成瀬氏は何の疑問も呈していません。例えば、こういう記事があります。
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斬つた数を五十人までは数えたが遂に数えきれなかつたといふ大場部隊某中隊の「隊宝」は無銘の古刀であつたが刃こぼれは栗粒位のものが五つ、刃まくれが二ケ所、身巾九分、重ね二分二厘、長さ二尺三寸七分、反り六分五厘といふ備前物で、刀屋に見せたら「数打ち物」として片づけられるものであらう。
[成瀬関次「戦線の日本刀」『文芸春秋』昭和14年2月号,p.228]
...実際にあたつて見て、元来から物打に二分からの刃ギレのあつた刀で、敵十五六人を斬つても何ともならず、却つて他の部分に刃こぼれの出来てゐたものも見、切先が蛇の口(口を閉ぢたる)のやうな刀で七名から斬つたのも、他に癖はついても、其の部分は何ともなつてゐなかつた。
概して日本刀は強靭なものである。...
[成瀬関次「戦線物斬り譚」『文芸春秋』昭和14年5月号,p291]
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成瀬氏によれば、日本刀が曲った場合、ある程度直せるし、刃こぼれは砥げば性能については回復できるようです。日本刀は材質や作り方で性能は千差万別ですが、刀の消耗を考えずにただ斬るだけあれば、一般的には「百人斬り」は不可能ではないようです。子どもの頃、我が家では刃先を切断した刃渡り20〜30cmくらいの日本刀を鉈代わりに使っていましたが、ばんばん木を切断していました。刃を短くしたせいもあるでしょうが、丈夫なものでした。
「百人斬り競争」議論になると、我が国伝統の技術をなぜか低く評価する人たちが現れます。
>物理的に不可能な事で、人を有罪にはできない、私はそう考えます。
現在行われている「百人斬り競争」の裁判のことではないので、コメントは控えさせていただきます。
これは メッセージ 4680 (miniiwa さん)への返信です.