朝日新聞、今日の社説
投稿者: nishibox 投稿日時: 2004/05/05 10:39 投稿番号: [4484 / 52541]
■こどもの日――未熟か、一人前か
グリム童話に、こんな話がある。
オランダのある町で、幼い子どもたちが遊んでいるうち、動物の役をしていた子どもを倒して、死なせてしまった。そこへ議員が通りかかり、死なせた男の子を引っ立てて、市長の家に連れて行った。市長は議員を集めて相談したが、どうしたらいいか分からない。
そこで、長老の議員が知恵を出した。右手に赤いリンゴを、左手に銀貨を載せて、男の子に見せるがよい。もしリンゴを取れば未熟な子どもだから無罪にし、銀貨を取れば一人前だから死刑にすべきだろう。
男の子は笑いながらリンゴを選び、何も罰を受けずにすんだ――。
この話はいろんなことを考えさせる。子どもを大人と同じように裁いてはならない。そうした考え方は200年前にはすでに広まっていたようだ。
未熟な子どもと一人前の大人との境界がはっきりしていて、大人が区別していたこともうかがえる。
いまはどうだろう。日本では法律で刑罰の対象を14歳以上と区切っているが、社会では子どもと大人の境界がぼやけてきているのではないか。子どもを未熟と見るか、一人前と見るか、戸惑っている大人は少なくあるまい。
リンゴと銀貨を見せれば、いまは銀貨を欲しがる子どもが多いだろう。多くのものを買い与えられ、小遣いももらい、お金の価値を知っているからだ。
子ども向け商品の市場も、塾などの教育産業も、大きくなるばかりである。売り込む側は子どもを一人前の消費者としてちやほやし、「小さな大人」と見る風潮も広がっている。
かつては、大人が知っていることをまだ知らないのが子どもである、と言うことができた。だが、テレビやインターネットのおかげで、いまの子どもは大人と同じ情報をたやすく手にする。
しかし、子どもが保護を必要とし、学ぶことを保証されるのは、未熟だからにほかならない。子どもを守り、きちんと育てるために、大人との境界をもう一度はっきりさせる必要がある。
身近なことで考えてみたい。
大人は子どもをしかることを避けていないか。しかられなければ、子どもはほめられたときの喜びを味わえない。
言葉遣いや服装、あいさつの乱れを見過ごしていないか。マナーを教えることは、まず家庭の仕事だ。
子ども部屋を聖域にしていないか。小遣いで買えないような品物を持っているかどうかに目配りすることは、非行から守ることにつながる。
幼い子に化粧をさせる母親が増えている。大人のまねをほめそやし、実は自分のペットにしているだけでないか。
大人と子どもの境界がぼやけたのは、未熟な大人が増えたせいもあるだろう。境界をはっきりさせるのは、子どもではなく、大人の責任である。
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>大人は子どもをしかることを避けていないか。しかられなければ、子どもはほめられたときの喜びを味わえない。
悪いことをしたらその場でビシッと叱る。
コレ教育する上で大切なこと。
自分と主義主張が同じだからとチヤホヤ甘やかせたら
本人たちが勘違いするばかりか、周りの社会生活にまで悪影響を及ぼす。
>言葉遣いや服装、あいさつの乱れを見過ごしていないか。
マナーを教えることは、まず家庭の仕事だ。
国旗・国歌にはその国の国民として最大の敬意を表すべき。
これ基本的なマナーである。
家庭の仕事と仰るのなら、大いに啓蒙していただきたい。
>幼い子に化粧をさせる母親が増えている。大人のまねをほめそやし、実は自分のペットにしているだけでないか。
人質三人を褒めそやし、実はオマエのペットにしているだけではないのか。
>大人と子どもの境界がぼやけたのは、未熟な大人が増えたせいもあるだろう。
>境界をはっきりさせるのは、子どもではなく、大人の責任である。
そしてオマエがその「未熟な大人」の代表である。
グリム童話に、こんな話がある。
オランダのある町で、幼い子どもたちが遊んでいるうち、動物の役をしていた子どもを倒して、死なせてしまった。そこへ議員が通りかかり、死なせた男の子を引っ立てて、市長の家に連れて行った。市長は議員を集めて相談したが、どうしたらいいか分からない。
そこで、長老の議員が知恵を出した。右手に赤いリンゴを、左手に銀貨を載せて、男の子に見せるがよい。もしリンゴを取れば未熟な子どもだから無罪にし、銀貨を取れば一人前だから死刑にすべきだろう。
男の子は笑いながらリンゴを選び、何も罰を受けずにすんだ――。
この話はいろんなことを考えさせる。子どもを大人と同じように裁いてはならない。そうした考え方は200年前にはすでに広まっていたようだ。
未熟な子どもと一人前の大人との境界がはっきりしていて、大人が区別していたこともうかがえる。
いまはどうだろう。日本では法律で刑罰の対象を14歳以上と区切っているが、社会では子どもと大人の境界がぼやけてきているのではないか。子どもを未熟と見るか、一人前と見るか、戸惑っている大人は少なくあるまい。
リンゴと銀貨を見せれば、いまは銀貨を欲しがる子どもが多いだろう。多くのものを買い与えられ、小遣いももらい、お金の価値を知っているからだ。
子ども向け商品の市場も、塾などの教育産業も、大きくなるばかりである。売り込む側は子どもを一人前の消費者としてちやほやし、「小さな大人」と見る風潮も広がっている。
かつては、大人が知っていることをまだ知らないのが子どもである、と言うことができた。だが、テレビやインターネットのおかげで、いまの子どもは大人と同じ情報をたやすく手にする。
しかし、子どもが保護を必要とし、学ぶことを保証されるのは、未熟だからにほかならない。子どもを守り、きちんと育てるために、大人との境界をもう一度はっきりさせる必要がある。
身近なことで考えてみたい。
大人は子どもをしかることを避けていないか。しかられなければ、子どもはほめられたときの喜びを味わえない。
言葉遣いや服装、あいさつの乱れを見過ごしていないか。マナーを教えることは、まず家庭の仕事だ。
子ども部屋を聖域にしていないか。小遣いで買えないような品物を持っているかどうかに目配りすることは、非行から守ることにつながる。
幼い子に化粧をさせる母親が増えている。大人のまねをほめそやし、実は自分のペットにしているだけでないか。
大人と子どもの境界がぼやけたのは、未熟な大人が増えたせいもあるだろう。境界をはっきりさせるのは、子どもではなく、大人の責任である。
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>大人は子どもをしかることを避けていないか。しかられなければ、子どもはほめられたときの喜びを味わえない。
悪いことをしたらその場でビシッと叱る。
コレ教育する上で大切なこと。
自分と主義主張が同じだからとチヤホヤ甘やかせたら
本人たちが勘違いするばかりか、周りの社会生活にまで悪影響を及ぼす。
>言葉遣いや服装、あいさつの乱れを見過ごしていないか。
マナーを教えることは、まず家庭の仕事だ。
国旗・国歌にはその国の国民として最大の敬意を表すべき。
これ基本的なマナーである。
家庭の仕事と仰るのなら、大いに啓蒙していただきたい。
>幼い子に化粧をさせる母親が増えている。大人のまねをほめそやし、実は自分のペットにしているだけでないか。
人質三人を褒めそやし、実はオマエのペットにしているだけではないのか。
>大人と子どもの境界がぼやけたのは、未熟な大人が増えたせいもあるだろう。
>境界をはっきりさせるのは、子どもではなく、大人の責任である。
そしてオマエがその「未熟な大人」の代表である。
これは メッセージ 4483 (buranchijp さん)への返信です.