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激戦地ペリリュー島のジャンヌダルクww

投稿者: hiroonomiya2006 投稿日時: 2008/11/04 23:52 投稿番号: [43082 / 52541]
朝日新聞の報じないペリリュー島遺骨収集、慰霊活動の現地恩人、シゲオ・テオン氏(88歳)の死去。(本日産経朝刊)

シゲオご夫妻とペリリュー島のオバック・イサオ酋長の尽力で、ペリリュー島で圧倒的米軍と勇戦し、硫黄島に匹敵する大損害を米軍に与えた末玉砕した日本兵一万のうち、7600柱が日本に帰る事が出来た。


ペリリュー島の日本のジャンヌダルク伝説 (諸君6月号、秦郁彦氏)

昭和19年秋、玉砕の島ペリリュー島、水戸山陣地に篭り、一人で精強な米海兵隊(マリーン)86人を機銃掃射でなぎ倒したうら若い日本の民間女性兵士の伝説。

かって南洋庁が置かれた、パラオ諸島水戸歩兵第二連隊所属の独立歩兵大隊引野大佐(53歳)はペリリュー島防衛を命じられた。

かねて恋仲であったパラオ随一の一流料亭「鶴の家」の美人芸者「久松」、本名梅田セツは、22歳の若さでありながら内地引き上げを断り「一緒に死ぬ」と髪を切り、軍服をまとって美しい黒目を潤ませながら引野大佐に同行した。

引野大佐は陸士26期卒業の職業軍人ながら38歳で陸軍を辞め、銀行や関西学院の教師を勤めた十数年後、召集されパラオに渡った人当たりの柔らかい紳士であり、それが30歳の年齢差がある若い「久松」の心を惹きつけたのかもしれない。

引野大佐は洞窟陣地を構築し、玉砕攻撃を避け、75日に渉り圧倒的米軍の攻撃を撃退し11回の天皇の御嘉賞が伝達され、米兵1万人が死傷する大激戦を繰り広げて散華した。

「久松」は大佐の死後も機関銃座に立て篭って、世界最強の米海兵隊員86人をなぎ倒した後戦死したが、米軍は、勇敢な強敵が肌の白いうら若き日本美人であった事に驚くと同時に敬意を払い、木製の記念碑を建てたが今は朽ち果てて無いそうだ。

戦後63年、反日映画ばかりを作り続けてきた日本映画界に、この伝説を映画化する、勇気ある若きプロデューサーは出現しないのだろうか?

「久松」役ー小雪、引野大佐役ー佐藤浩市なんてのはどうだろうか。ww
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