言論のタブー。
投稿者: odoru_keijiban2 投稿日時: 2008/10/17 10:21 投稿番号: [42799 / 52541]
言論封殺
言論の自由。だれでも知っている民主主義社会内での権利である。
マスコミが報道の自由、言論の自由を盾に第四の権力をほしいままにしている。その第四の権力が言論の封殺をしている矛盾に行当たる。
日本には言論のタブーがある。
そのタブーを作り出しているのが左翼とマスゴミだ。
憲法改正だなどと言ったら叩かれた時代もあった。
核保有問題などもってのほかだった。
同和問題などもそうである。
朝鮮歴史問題、領土問題はおかしいほど日本の政治家の言論は封殺されている。
今は亡き、江藤隆美氏が「日本は韓国に対していいこともした」と言っただけで大臣のポストを失ったことは有名である。
我が国の領土、竹島を韓国から力ずくでも取り返すと外務省、防衛省、大臣がもしも言ったらどうなるか。
韓国の政治家など平気で日本との戦争云々言っているが。
北朝鮮の日本人拉致に関しても、当時そう言う疑いがあったとしても口にできない状態が長く続いた。当時大臣がそういうことを口に出していたら旧社会党やマスゴミに叩かれて大臣のポストを失っていたことは間違いない。
中山氏が言った。日教組問題、ゴネ得などまだまだ日本のタブーであるのか。だれがこれをタブーにしているのか。
失言、放言などと封殺してしまうことがいいものか?
考えたい。
北朝鮮の日本人拉致問題もある時期まである意味タブーだった。
だれがタブーにしたのか。
>麻生太郎・異論Ⅳより
「私は、北朝鮮問題というのは、戦後日本にとって、大変大きな意味を持つ教訓を示していると思っているんです。先ず第一に言えるのは、日本において、「拉致事件は存在しない・・・・」と叫び続けていた人達の中心を形成していたのは、かつて社会党、今の社民党や、民主党に移っていった左翼の人達であり、勿論マスコミのかなりの数の人達ではなかったのか・・・・ということです。 そしてこの左翼系の人達と同じように「拉致は存在しない」と言っていたのが「市民派」を自称する「国家よりも市民」が大事であるといった発想の人達でした。もちろん「主権より人権」が大事という「人権派」の人達もこの中に含まれます。 これらの左翼系の人達に共通するのは「護憲」という戦後憲法の護持であり、憲法九条の「死守」であったと思います。日本が外国と揉めるようなことは、何としても避けるべきで、そのためには「少数の日本人の生命や財産、国家の主権が少々侵略されてもいいんだ」といった思想、もしくは発想ではなかったでしょうか。(略)
日本が、敗戦後の占領下から再び独立をし主権を取り戻して50年が経ちました。そろそろ「戦後意識」から脱却してもよい時が来ているのではないかと、私は考えているんです。日朝関係を考えると、どうも植民地支配をした国だからといった「贖罪意識」を持っているためか、北朝鮮の犯罪に対しては、見て見ぬふりをしておこう・・・・といった風潮が戦後の日本人に根付いているのではないでしょうか。しかし、今の北朝鮮の実情を垣間見るとき、それ等の贖罪意識は、全く見当はずれであると知っておくべきです。少なくとも、日本統治時代に何百万を餓死させた事実は無く、日本人はこのことにもっと、自信を持ってよいと考えています」(麻生太郎・異論Ⅳより)
言論の自由。だれでも知っている民主主義社会内での権利である。
マスコミが報道の自由、言論の自由を盾に第四の権力をほしいままにしている。その第四の権力が言論の封殺をしている矛盾に行当たる。
日本には言論のタブーがある。
そのタブーを作り出しているのが左翼とマスゴミだ。
憲法改正だなどと言ったら叩かれた時代もあった。
核保有問題などもってのほかだった。
同和問題などもそうである。
朝鮮歴史問題、領土問題はおかしいほど日本の政治家の言論は封殺されている。
今は亡き、江藤隆美氏が「日本は韓国に対していいこともした」と言っただけで大臣のポストを失ったことは有名である。
我が国の領土、竹島を韓国から力ずくでも取り返すと外務省、防衛省、大臣がもしも言ったらどうなるか。
韓国の政治家など平気で日本との戦争云々言っているが。
北朝鮮の日本人拉致に関しても、当時そう言う疑いがあったとしても口にできない状態が長く続いた。当時大臣がそういうことを口に出していたら旧社会党やマスゴミに叩かれて大臣のポストを失っていたことは間違いない。
中山氏が言った。日教組問題、ゴネ得などまだまだ日本のタブーであるのか。だれがこれをタブーにしているのか。
失言、放言などと封殺してしまうことがいいものか?
考えたい。
北朝鮮の日本人拉致問題もある時期まである意味タブーだった。
だれがタブーにしたのか。
>麻生太郎・異論Ⅳより
「私は、北朝鮮問題というのは、戦後日本にとって、大変大きな意味を持つ教訓を示していると思っているんです。先ず第一に言えるのは、日本において、「拉致事件は存在しない・・・・」と叫び続けていた人達の中心を形成していたのは、かつて社会党、今の社民党や、民主党に移っていった左翼の人達であり、勿論マスコミのかなりの数の人達ではなかったのか・・・・ということです。 そしてこの左翼系の人達と同じように「拉致は存在しない」と言っていたのが「市民派」を自称する「国家よりも市民」が大事であるといった発想の人達でした。もちろん「主権より人権」が大事という「人権派」の人達もこの中に含まれます。 これらの左翼系の人達に共通するのは「護憲」という戦後憲法の護持であり、憲法九条の「死守」であったと思います。日本が外国と揉めるようなことは、何としても避けるべきで、そのためには「少数の日本人の生命や財産、国家の主権が少々侵略されてもいいんだ」といった思想、もしくは発想ではなかったでしょうか。(略)
日本が、敗戦後の占領下から再び独立をし主権を取り戻して50年が経ちました。そろそろ「戦後意識」から脱却してもよい時が来ているのではないかと、私は考えているんです。日朝関係を考えると、どうも植民地支配をした国だからといった「贖罪意識」を持っているためか、北朝鮮の犯罪に対しては、見て見ぬふりをしておこう・・・・といった風潮が戦後の日本人に根付いているのではないでしょうか。しかし、今の北朝鮮の実情を垣間見るとき、それ等の贖罪意識は、全く見当はずれであると知っておくべきです。少なくとも、日本統治時代に何百万を餓死させた事実は無く、日本人はこのことにもっと、自信を持ってよいと考えています」(麻生太郎・異論Ⅳより)
これは メッセージ 1 (jjjjjjjjjjjjjjkohe さん)への返信です.