「朝日」が赤いのは、誰もが知る事実
投稿者: filthymacnasty2 投稿日時: 2008/06/16 13:24 投稿番号: [41435 / 52541]
>何故、露骨に方向転換したのでしょうか?
1964年1月20日、「朝日」でクーデターが発生、オーナー一族の村山長挙社長らが経営陣から一掃され、「日本共産党」幹部で「朝日労組」の大実力者聴濤克巳に担がれ、「毛沢東主義者」で「西部本社」担当の広岡知男が社長に就任
「マルキスト」の森恭三が、「論説主幹」として「左翼路線」を理論的にリードし、その配下に渡辺誠毅(徳田球一と聴濤克巳のレポ役だった)、秦正疏(「ソビエト派」)、伊藤敏夫のいわゆる「左翼三羽烏」を配して、「朝日」を露骨に左傾化させた
さらに「政治部長」木村量数、「ソビエト派」笠信太郎、「中国派」秋岡家栄(「北京特派員」を務めた後、「人民日報・海外版」日本発行代理人となる)、「論説委員」松井やより(退職後、「VAW
NET
JAPAN」代表)、本多勝一記者(1971年、「朝日新聞」紙上に「中国の旅」を連載し、「南京虐殺」30万人説を広める)ら多士済々の左翼を結集
戦前の「ゾルゲ事件」で尾崎秀実の同僚スパイだった「政治経済部長」田中慎次郎が、戦後復職して創刊した「朝日ジャーナル」(1959年〜1992年)を、1984年に筑紫哲也に引き継がせ、さらにその後継の隔週誌「週間金曜日」(1993年〜
)を黒川宣之「編集長」、本多勝一、筑紫哲也、佐田信らの「編集者」陣で固めて「左翼路線」堅持
また、「プノンペン特派員」時代に「ポル・ポト派」を擁護したことで知られる和田俊、「靖国問題」の火付け役加藤千洋(1985年8月7日記事)、「慰安婦問題」火付け役植村隆(1991年8月11日記事)、松井やよりの子飼いで「社会部副部長」の本田雅和、「ピースボート」の伊藤千尋、さらには現「論説委員」として「尾崎秀実」を“信念の人”として称賛する早野透、さらに加藤紘一、河野洋平を誉めそやす若宮啓文ら後継者も、しっかり赤く染まっており、もはや「朝日」が赤いのは当たり前のこととして誰もが知る事実となっている
これは メッセージ 41433 (sailing200620002000 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143583/a1za1za1zdabffcbf7j9a4r8a1beza47a4ha4a6a1aaa1za1za1z_1/41435.html