⇒テレ朝 ←視聴者側に瑕疵はないのか。
投稿者: mzkucom 投稿日時: 2004/04/17 15:20 投稿番号: [3998 / 52541]
>タイトル:テレ朝
投稿者: ititakahiro さんとみさんへ
→「聖職者協会の人の手放しの喜んだ笑顔と、川口外務大臣や総理の無表情の良かったですという言葉が対照的だ」と批判めいたことを言っていた。
↓
「」中のコトバだけで批判めいた・・・ではなく、ハッキリ批判ととれたのではないですか。
私はこれは実況描写、素直に写実したと想いますよ、むしろ客観性を欠いたがために、貴方のように受け取った人が居るのでは?と。
ここで言う客観性は言葉上ではなく、そのコトバデしか…いわゆる対照的だという、視聴者になかばおもねた表現が、逆に(批判めいた)という、あなたのような批判になるのです。
ここの放送だけでなく、マスコミはいまどこも、政府の恫喝にビクビクし、受け手側の短兵急なクレームに表現者として非情な厳しさを迫られています。
生活が懸かった身で、制約を跳ね返せずにいる。それが表現手段の第一段階、ハジメの「コトバ」でクエッションつをけたり。ワザと写真と逆なコトバ表現を行ったりするものです。
それらは、いわばオレがこう言ったからって、あなた達は画面を見れば解ってくれるだろう。という『意の含蓄・包含』したモノで判断してくれ。といっている。
いい解説者ほどこの手を使うのです。
かっての久米さんへの多くの批判も、この言葉表現の重厚性を理解しない、単純受けした人達が大部分であることが、今になって判るでしょう。
表現とは、露われていないところにある。したがって受取手の知性、あるいは思考熟度に依って理解に瑕疵が生じる危険性も伴うわけわけです。
素人が初めて落語を聞いてオチが何やらどこじゃやら解らないのと似ています。
こういったトピでも、解らないだけで、バリ罵倒を言う人も散見しますが、視る、聴く側に、あるいは反論する側にも、それ相応の知性と、習熟度が必須な気がします。
如何でしょうか。
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これは メッセージ 3993 (ititakahiro さん)への返信です.
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