Re: 曽野綾子「作品」の政治的利用
投稿者: kt19790776 投稿日時: 2007/06/24 16:39 投稿番号: [36166 / 52541]
さらに、大江健三郎が「被告」になっている裁判で、原告側が産経新聞にも報じられている、「年金を貰うために軍の命令だったことにした」という証言に対しても、「豊富な取材」による本文では、被告側の主張に近いことが書かれている。
>厚生省援護局調査課沖縄班の話によると、戦傷病者戦没者遺族等援護法ができたのは昭和二十七年で、渡嘉敷の場合は軍の要請で戦闘に参加したということで、島民全部が準軍属とみなされ、気の毒で戦死とみなした。その判定が行われたのは昭和三十二年から昭和三十三年にかけてであるが、てきようは二十七年にさかのぼって行われたという。
今となっては、この適用が行われたことに異論を唱える人は殆どあり得ないであろう。半ば不本意の人や「喜んで」やった人さまざまであろうが、島の人たちは、自分の家に兵隊を迎え、陣地に使うための坑木の切り出しもした。たとえ、それらのことを一つもしなくても村は一つの運命共同体であった。直接弾丸に当たらなくても、栄養失調で死んでも、それはやはり戦いに参加して倒れたのであった。(3の195頁)
つまり、この「年金」云々の問題は、裁判で、原告側が
>6.照屋昇雄元琉球政府職員は(『産経新聞』 2006年8月27日付)で、援護法適用にための方便として村の公式見解になっていったもので、「軍の自決命令を証言した人は一人もいなかった」と証言している
産経新聞では
>照屋さんは、昭和20年代後半から琉球政府社会局援護課で旧軍人軍属資格審査委員会委員を務めた。当時、援護法に基づく年金や弔慰金の支給対象者を調べるため、渡嘉敷島で聞き取りを実施。この際、琉球政府関係者や渡嘉敷村村長、日本政府南方連絡事務所の担当者らで、集団自決の犠牲者らに援護法を適用する方法を検討したという。 同法は、軍人や軍属ではない一般住民は適用外となっていたため、軍命令で行動していたことにして「準軍属」扱いとする案が浮上。村長らが、終戦時に海上挺進(ていしん)隊第3戦隊長として島にいた赤松嘉次元大尉(故人)に連絡し、「命令を出したことにしてほしい」と依頼、同意を得たという。 照屋さんらは、赤松元大尉が住民たちに自決を命じたとする書類を作成し、日本政府の厚生省(当時)に提出。これにより集団自決の犠牲者は準軍属とみなされ、遺族や負傷者が弔慰金や年金を受け取れるようになったという。(産経新聞・平成18年8月27日)
と書いている。
これに対して、被告側は、
>照屋氏は、当時琉球政府職員ではなく、この証言は偽りである。軍の自決命令の証言は、『鉄の暴風』に記載されており、この証言は、沖縄タイムス社が集団自決の体験者を集めて取材し、その証言を記録したものである。座間味・渡嘉敷の「集団自決」ははじめから「援護法」の対象とされていたので、照屋氏が「軍の命令による」とする必要もなかった(馬淵証言)
『鉄の暴風』については、2.3で、その問題点が明記されているように、少し、信用できないが、「渡嘉敷の「集団自決」ははじめから「援護法」の対象とされていたので、照屋氏が「軍の命令による」とする必要もなかった」という主張は、曽野綾子の「豊富な取材」に基づく本文記述と一致する。
以上、要するに、NHKの「クローズアップ現代」は沖縄戦での集団自決二軍が関与したとする教科書の記述に対して、「軍は関与していた」とする島民の怒りの声を伝えているわけで、このテーマーにいては、曽野綾子の2は、背景をより深く知るという補強材料にこそなれ、決して、それに触れていないからと、「スルーして制作した意図」があるなどと、茶々を入れられるような番組ではなかったことになる。
>厚生省援護局調査課沖縄班の話によると、戦傷病者戦没者遺族等援護法ができたのは昭和二十七年で、渡嘉敷の場合は軍の要請で戦闘に参加したということで、島民全部が準軍属とみなされ、気の毒で戦死とみなした。その判定が行われたのは昭和三十二年から昭和三十三年にかけてであるが、てきようは二十七年にさかのぼって行われたという。
今となっては、この適用が行われたことに異論を唱える人は殆どあり得ないであろう。半ば不本意の人や「喜んで」やった人さまざまであろうが、島の人たちは、自分の家に兵隊を迎え、陣地に使うための坑木の切り出しもした。たとえ、それらのことを一つもしなくても村は一つの運命共同体であった。直接弾丸に当たらなくても、栄養失調で死んでも、それはやはり戦いに参加して倒れたのであった。(3の195頁)
つまり、この「年金」云々の問題は、裁判で、原告側が
>6.照屋昇雄元琉球政府職員は(『産経新聞』 2006年8月27日付)で、援護法適用にための方便として村の公式見解になっていったもので、「軍の自決命令を証言した人は一人もいなかった」と証言している
産経新聞では
>照屋さんは、昭和20年代後半から琉球政府社会局援護課で旧軍人軍属資格審査委員会委員を務めた。当時、援護法に基づく年金や弔慰金の支給対象者を調べるため、渡嘉敷島で聞き取りを実施。この際、琉球政府関係者や渡嘉敷村村長、日本政府南方連絡事務所の担当者らで、集団自決の犠牲者らに援護法を適用する方法を検討したという。 同法は、軍人や軍属ではない一般住民は適用外となっていたため、軍命令で行動していたことにして「準軍属」扱いとする案が浮上。村長らが、終戦時に海上挺進(ていしん)隊第3戦隊長として島にいた赤松嘉次元大尉(故人)に連絡し、「命令を出したことにしてほしい」と依頼、同意を得たという。 照屋さんらは、赤松元大尉が住民たちに自決を命じたとする書類を作成し、日本政府の厚生省(当時)に提出。これにより集団自決の犠牲者は準軍属とみなされ、遺族や負傷者が弔慰金や年金を受け取れるようになったという。(産経新聞・平成18年8月27日)
と書いている。
これに対して、被告側は、
>照屋氏は、当時琉球政府職員ではなく、この証言は偽りである。軍の自決命令の証言は、『鉄の暴風』に記載されており、この証言は、沖縄タイムス社が集団自決の体験者を集めて取材し、その証言を記録したものである。座間味・渡嘉敷の「集団自決」ははじめから「援護法」の対象とされていたので、照屋氏が「軍の命令による」とする必要もなかった(馬淵証言)
『鉄の暴風』については、2.3で、その問題点が明記されているように、少し、信用できないが、「渡嘉敷の「集団自決」ははじめから「援護法」の対象とされていたので、照屋氏が「軍の命令による」とする必要もなかった」という主張は、曽野綾子の「豊富な取材」に基づく本文記述と一致する。
以上、要するに、NHKの「クローズアップ現代」は沖縄戦での集団自決二軍が関与したとする教科書の記述に対して、「軍は関与していた」とする島民の怒りの声を伝えているわけで、このテーマーにいては、曽野綾子の2は、背景をより深く知るという補強材料にこそなれ、決して、それに触れていないからと、「スルーして制作した意図」があるなどと、茶々を入れられるような番組ではなかったことになる。
これは メッセージ 36164 (kt19790776 さん)への返信です.