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曽野綾子「作品」の政治的利用 その1

投稿者: kt19790776 投稿日時: 2007/06/24 15:36 投稿番号: [36159 / 52541]
(長くなるので、その1.その2.その3とさせていただいた)

>事実立証ということでは、大江健三郎の「沖縄ノート」と曾野綾子の「集団自決の真実」(沖縄ノートのウソ)との問題点を検証をすることをスルー

  と、書かれているので、どんなことかと思い、早速図書館から以下の3冊を借りてきた(発行年順に列挙)。

1.大江健三郎著『沖縄ノート』(1970年・岩波新書)
2.曽野綾子『ある神話の背景 -- 沖縄・渡嘉敷島の集団自決』(1973年・文藝春秋)
3.曽野綾子『沖縄戦・渡嘉敷島「集団自決」の真実 -- 日本軍の住民自決命令はなかった!』(2006年・ワック)

  私は、今回これらの本をはじめて読むが、2と3を比べてみると面白い。2は、タイトルからも本の装丁からも、又前書きや解説もなく、いきなり本文から始まっているので、当然ながら内容的にも、著者が一個の文学作品として世に問うたことは一目瞭然だ。しかし、3になると、同じ本文が、著者の「新版まえがき」と産経新聞論説委員による「解説」ではさまれている。タイトルから読み取れるように、また解説で強調されているように「日本軍による集団自決命令」の「有無」が問題であるかのようにアピールしている。だから、oldkent36さんは、この3の本に依拠して、NHKの「クローズアップ現代」の問題を、事実立証面を「スルーして制作した」と指摘しているのだろう。

  しかし、2.3.を読んでみれば、曽野綾子が、どういう立場でどういう時代社会認識をもって「作品」を書いているかは明らかである。
  先ず、3では「真実」というコトバがタイトルに入っているが、2には入っていない。その意味は2、3とも本文から読み取れる。

>昭和四十五年九月十七日、赤松元隊員たちの沖縄訪問から約半年後に大阪千日前の「ホテルちくば」で一つの会合が開かれた。
  そこで、私は初めて、事件の主人公たちを見たのである。(中略)
  初めて、真向こうから声をあげたのは函館からはせさんじたという、一人の元隊員であった。
  赤松隊長のことを、何故ああ、ジャーナリズムはまちがって書き、人々はそれをそのまま信じるのか。(中略)
  こんな軍律厳しかった隊もないと思う。赤松隊長を信じていればこそ、戦後二十何年経っても、隊長が集まれと言えば皆こうして命令一下やって来る。それを、あらゆる卑怯者の代名詞のようにさせられて、自分には全く納得がいかない、と彼は激しい口調で言った。
「真実を書いて下さい」
  と彼が言っとき、私の中で苦しい叫びのようなものがあった。「真実」とは何なのか。私は物書きとしてそれを捉えることの不可能にいつも直面しているのであった。私はその時、その座にいた人々を決して満足させないような答えをした。真実は幾つもある、と私は言ったと思う。真実は、「神」の眼から見た真実でない限り、それは、そこにいた人々の数だけ少しずつ違ったものがある。そして人間は「神」ではないのだから、誰かの眼を神の如きものだと決める訳にはいかない。(40〜45頁)

  2から3へという形で「新版」が出る際の「タイトル変更」に著者は「真実」に対する考えが変わったのだろうか。そうは思われない。事実、3の解説中にも、以下のような著者の「証言」が引用されている。

>「できる限り直接資料に当たり、ご存知の方がいればお目にかかるやり方を取った。推論や断定を避け、矛盾した証言があっても、統一は図らないことを心がけて執筆した」(「第三次家永教科書訴訟」昭和六十三年四月「国側証人」として東京地裁での証言)(3の333頁「解説」より)
 

「推論や断定を避け、矛盾した証言があっても、統一は図らない」というノンフィクション作品を書く上でのポリシーを語っていると思われるが、これから見ても3のタイトルや「新版まえがき」はどんなものか?

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