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アサヒの創作・脚色による“南京大虐殺”

投稿者: xyzhaya2gou 投稿日時: 2007/06/07 01:19 投稿番号: [35895 / 52541]
http://www.history.gr.jp/~nanking/peace.html#03

>朝日新聞は、昭和46年以降は気でも狂ったのではないかと思われるほど、南京に大虐殺が「あった!!あった!!」とあおりたてた。
  教科書に「南京大虐殺」が載るようになったのも、昭和50(1975)年からである。
  その頃になると、朝日に次いで毎日やNHKなど日本のマスコミや時代におもねる学者、文化人、教育者がこれに追随し、今日の風潮を作ってしまった。
  日教組のごときは、南京大虐殺をアウシュビッツの大虐殺と広島・長崎の原爆による大量殺戮とならべて教育の3大重点項目とし、これを明記している教科書を選べ、と指導しているほどである。

朝日新聞が急角度に中国寄りの醜態を演じ始め、「親中反日」「親ソ反米」の新聞に偏向したのは、昭和40年代以降のことであるが、それまでの朝日新聞は、戦前・戦中から終戦直後にかけて、日本を代表するクオリティー・ペーパーとしての品位を持つ新聞として、発行部数も首位にあった。
  その朝日は、占領直後の南京の情景をどのように描写し、どのように報道してきたか。
  そこには日本軍の中国人に対する殺害・暴行・放火・強姦といった巷間伝えられるようないまわしい情景はひとつもないどころか、逆に、日本軍が中国軍民、ことに婦人や子供をいたわっている状況が如実に写真に写され、文章で報じられている。
  それも、2度や3度ではなく、あらゆる角度から活写されているのである。
  南京占領は、昭和12(1937)年12月13日であるが、それから翌年の正月13日までわずか1ヶ月の間に朝日新聞は実に5回にわたって写真特集を組んでいる。
  しかも別掲のごとく、新聞半貢大のスペースに4枚ないし5枚一組の特集である。
  そのうえ、占領下の南京の情況をレポートした文章は数回に及んでいる。私は当時の読売新聞・東京日々新聞(現在の毎日新聞)の3紙のコピーをとったが、朝日が一番くわしく、写真の枚数もダントツである。

<平和よみがえる南京>
タイトルは「平和甦る南京《皇軍を迎えて歓喜沸く》」である。
  「17日河村特派員撮影」とあるから、南京占領5日目の写真である。

写真説明(1)兵隊さんの買い物(右)
写真説明(2)皇軍入城に安堵して城外の畑を耕す農民達。(中上)
(3)皇軍に保護される避難民の群。(中下)
④和やかな床屋さん風景。(左)

<きのうの敵に温情>
写真説明(1)   治療を受けている支那傷病兵(右上)
(2)は皇軍将兵の情に食欲を満たす投降兵(左上)
(3)は砲撃やんだ南京城内に描かれた親善風景(中央)、
(4)は山田部隊長と語る敵の教導総隊参謀、沈博施小佐(右下)
(5)は南京城内の親善風景(左下)

<「南京は微笑む=城内点描」>
写真説明(1)玩具の戦車で子供達と遊ぶ兵隊さん(南京中山路にて)(右上)

(2)戦火収まれば壊れた馬車も子供達の楽しい遊び場だ(南京住宅街にて)(左上)
(3)皇軍衛生班の活躍に結ばれて行く日支親善(難民避難区にて)(右下)
(林特派員撮影)。
写真(4)は、平和の光をたたえて支那人教会の庭からもれる賛美歌(南京寧海路にて)(左下)<

以下略

アサヒも昔は、捏造ではなく真実を伝えていた。
今のアサヒは、捏造、売国、反日街道ひた走り。
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