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Re: inonakanohotaru さん、知らないのか

投稿者: filthymacnasty2 投稿日時: 2007/01/19 01:24 投稿番号: [33240 / 52541]
>かつての不倫相手が統一教会に関係していたことは衆知のこととして今回の招待が統一教会経由だというのは、まゆつばではないか

山拓は2006年7月に訪米した際、「統一教会」関係者を通じて金正日の招待状を受け取った

ついでに「統一教会」「北朝鮮」「自民党」のコネクションについて述べれば、それまで反共だった文鮮明が在米韓国人のマダム・朴の仲介で北朝鮮と和解し訪朝(1991.11.30〜12.8)、金日成と会談して朝鮮半島統一に協力することを約束
それに伴い、「日朝国交回復」を促進するため日朝間の橋渡し役を引き受けることも承諾
さっそく文鮮明は北朝鮮のメッセンジャーとして訪日を計画し、「日本統一教会」会長神山威に「法務省」に入国を申請させたが、その頃日本では「統一教会」の「霊感商法」が社会問題になっていたこともあり、文鮮明は好ましからざる人物として入国不許可対象となっており、入国を許可される可能性は低いと見られていた
しかし「自民党」の親北朝鮮派議員が中心となって「東北アジアの平和を考える国会議員の会」(世話人:加藤武徳議員)を結成して文鮮明の訪日を支援、特に「自民党」副総裁の金丸信が手を回し、結局文鮮明はついに訪日を果たした(1992.3.26〜4.1)
訪日した文鮮明の表立っての政治的スケジュールは「東北アジアの平和を考える国会議員の会」との懇談(3月30日)だけだったが、実は文鮮明は密かに金日成の「親書」を携えての来日であり、その前日の3月29日に中曽根康弘と二人だけで会談、さらに3月31日には金丸信とも密談している
特に金丸信との密談の内容は、その後に展開される一方的な「コメ支援」など、いわゆる「土下座外交」と密接な関係を持つものとされるが、詳細については明らかにされていない

その後主として加藤紘一が積極的に動き、やがて「渡辺訪朝団」派遣(1995.3.28〜3.30)が実現し、この時「米50万トン支援」が決定された(同年6月、加藤紘一主導でまず「米30万トン」、同年6月残りの「20万トン」が北朝鮮に送られた)
なお加藤紘一は、「新日本産業」社長の吉田猛に「加藤紘一秘書」の名詞を持たせ「渡辺訪朝団」に同行させたが、この人物は「朝鮮労働党・調査部」と繋がりがあり、「公安調査庁」もマークしていた北朝鮮系帰化人吉田龍雄(金奉龍)の息子だった
付言するなら、吉田猛は金正日の側近崔龍海、「朝鮮労働党・三号庁舎」責任者金容淳、及び前述の「金剛山国際グループ」会長で平壌に「普道江ホテル」も経営している在米韓国人実業家マダム・朴とも非常に親しい関係だった

その次には、今度は野中広務が中心となって、さらに北朝鮮に「米支援」するプロジェクトを立ち上げ、北京で「日朝局長級会談」(1997.8.25〜8.26)を実現させて、さらに「米50万トン」を支援
この時は裏方としての中山正暉の働きも大きかったが、案外このことは知られていない

その返礼といってはなんだが、1998年8月31日、北朝鮮はいきなり日本列島越えに「テポドン」を打ち込む
さらに北朝鮮が「テポドン2号」を開発中であるとの観測が流れる中、「朝日新聞」は次のような記事を掲載した

●「北朝鮮のミサイルが日本列島に落下することがあっても、日本に対する本格的な侵略とみなすことはできない」(1999.2.8)

このような状況にあっても、親北朝鮮派は北朝鮮への「米支援」続行を叫び、2000年3月に「米10万トン」、さらに同年10月に「米50万トン」を支援、もし2001年に「小泉政権」が誕生しなかったなら、加藤紘一らによってさらなる「米支援」が続行されたことであろう

さて今回は字数の関係で、北朝鮮と親北朝鮮派「自民党」議員との間でメッセンジャー的な役割を果たしたマダム・朴(朴啓允)など文鮮明人脈について詳しく触れることはできなかったが、またおいおい暇を見てさらに深層についても書いてみたいものである
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