「昭和天皇 靖国合祀に不快感」捏造疑惑
投稿者: root1000jq 投稿日時: 2006/07/22 20:48 投稿番号: [29597 / 52541]
「昭和天皇 靖国合祀に不快感」に対する疑惑まとめサイトVer0.3β
http://vortex.milkcafe.to/nikkei.html
昭和天皇発言、実は藤尾文相発言の意図的すり替え
http://fout.garon.jp/?key=GDT3HkSXTLEDTh_4Hcy1Hp:GwW&ext=jpg&act=view
日本経済新聞から、2006/7/20にあるスクープが出ました。(Web記事)
元宮内庁長官である故富田朝彦氏の昭和天皇との会話とされるメモに「A級戦犯の靖国合祀に不快感」を示しているというもの。
全文を記します。
私は 或る時に、A級が合祀されその上 松岡、白取までもが、
筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが
松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々と
松平は 平和に強い考があったと思うのに 親の心子知らずと思っている
だから 私あれ以来参拝していない それが私の心だ
(白取は白鳥の誤記か?)
新聞・テレビ局各社はこのメモをそのまま報じています。
しかし、このメモにはさまざまな疑惑があるのです。
まず、一番鮮明になっている画像をみてください。
(クリックで大画像表示)
手帳の右側に貼り付けてあるメモをテキスト化します。
4.28 4
前にもあったが どうしたのだろう
中曽根の靖国参拝もあったが
藤尾(文相)の発言。
=奥野は藤尾と違うと思うが
バランス感覚の事と思う
単純な復古ではないとも。
私は 或る時に、A級が
合祀され その上 松岡、白取
までもが、
筑波は慎重に対処して
くれたと聞いたが
・ 松平の子の今の宮司がどう考
余そ えたのか 易々と
りう 松平は平和に強い考えが
関で あったと思うのに 親の心子知
係す らずと思っている
もが だから 私あれ以来参拝
知が していない。 それが私の心だ
ら多
ずい 関連質問 関係者もおり批判になるの意
■疑惑のメモ……?
まず、現在提示されている疑問を箇条書きにします。
1)昭和天皇の一人称
プライベートでは「朕」を使用していたことが知られています。ここで『私』といっている主体は昭和天皇ではないのではないでしょうか。
【追記】
07/21付けの日経新聞では33面で特集を組んでいます。この中で昭和天皇が『私』という一人称を使っている部分は他にはありませんでした。
全体から見たとき、上記部分の『私は或る時に〜』という記述はなんとも唐突で、かつ浮いている印象を受けました。
2)参拝?
神道の最高神である天照大神の子孫である天皇陛下が神社に「参拝」することはありません。この場合は「親拝」するとなるのでしょうかね?
どちらにせよ『だから 私あれ以来参拝していない』とありますが、この場合『私』が昭和天皇ではないとしか考えられません。
3)『あれ以来』とは?
A級戦犯が合祀されたのは1978年。昭和天皇が最後に靖国に行かれたのが1975年。そして1988年になって『あれ以来』というのは言い回しとしてもおかしい。
4)『関連質問』とは?
テレビなどでは報じられていないメモの最終行に『関連質問 関係者もおり批判になるの意』とあります。
しかし、昭和天皇との会話でこういったプライベートな問題に対して宮内庁長官が質問をするものでしょうか? また、それを『関連質問』とメモに記すでしょうか?
5)発言の唐突さ
1988年の天皇誕生日の前日、いきなりなんの前振りもなく話す内容としてかなり唐突であるように見受けられます。日経新聞7/21付けでは特集扱いをしており、他の発言も紹介しているのですが……なんとも唐突な発言であるように思われます。
6)メモの特異性
産経新聞によると、数多い手帳の中でもこのようにメモが糊付けされて貼られているのはここだけのようです。確実にいえるのは、不自然であるということ。
これらの疑問を統合すると、このメモに書かれている『私』とは昭和天皇ではないのではないかという疑惑が浮かんできます。
http://vortex.milkcafe.to/nikkei.html
昭和天皇発言、実は藤尾文相発言の意図的すり替え
http://fout.garon.jp/?key=GDT3HkSXTLEDTh_4Hcy1Hp:GwW&ext=jpg&act=view
日本経済新聞から、2006/7/20にあるスクープが出ました。(Web記事)
元宮内庁長官である故富田朝彦氏の昭和天皇との会話とされるメモに「A級戦犯の靖国合祀に不快感」を示しているというもの。
全文を記します。
私は 或る時に、A級が合祀されその上 松岡、白取までもが、
筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが
松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々と
松平は 平和に強い考があったと思うのに 親の心子知らずと思っている
だから 私あれ以来参拝していない それが私の心だ
(白取は白鳥の誤記か?)
新聞・テレビ局各社はこのメモをそのまま報じています。
しかし、このメモにはさまざまな疑惑があるのです。
まず、一番鮮明になっている画像をみてください。
(クリックで大画像表示)
手帳の右側に貼り付けてあるメモをテキスト化します。
4.28 4
前にもあったが どうしたのだろう
中曽根の靖国参拝もあったが
藤尾(文相)の発言。
=奥野は藤尾と違うと思うが
バランス感覚の事と思う
単純な復古ではないとも。
私は 或る時に、A級が
合祀され その上 松岡、白取
までもが、
筑波は慎重に対処して
くれたと聞いたが
・ 松平の子の今の宮司がどう考
余そ えたのか 易々と
りう 松平は平和に強い考えが
関で あったと思うのに 親の心子知
係す らずと思っている
もが だから 私あれ以来参拝
知が していない。 それが私の心だ
ら多
ずい 関連質問 関係者もおり批判になるの意
■疑惑のメモ……?
まず、現在提示されている疑問を箇条書きにします。
1)昭和天皇の一人称
プライベートでは「朕」を使用していたことが知られています。ここで『私』といっている主体は昭和天皇ではないのではないでしょうか。
【追記】
07/21付けの日経新聞では33面で特集を組んでいます。この中で昭和天皇が『私』という一人称を使っている部分は他にはありませんでした。
全体から見たとき、上記部分の『私は或る時に〜』という記述はなんとも唐突で、かつ浮いている印象を受けました。
2)参拝?
神道の最高神である天照大神の子孫である天皇陛下が神社に「参拝」することはありません。この場合は「親拝」するとなるのでしょうかね?
どちらにせよ『だから 私あれ以来参拝していない』とありますが、この場合『私』が昭和天皇ではないとしか考えられません。
3)『あれ以来』とは?
A級戦犯が合祀されたのは1978年。昭和天皇が最後に靖国に行かれたのが1975年。そして1988年になって『あれ以来』というのは言い回しとしてもおかしい。
4)『関連質問』とは?
テレビなどでは報じられていないメモの最終行に『関連質問 関係者もおり批判になるの意』とあります。
しかし、昭和天皇との会話でこういったプライベートな問題に対して宮内庁長官が質問をするものでしょうか? また、それを『関連質問』とメモに記すでしょうか?
5)発言の唐突さ
1988年の天皇誕生日の前日、いきなりなんの前振りもなく話す内容としてかなり唐突であるように見受けられます。日経新聞7/21付けでは特集扱いをしており、他の発言も紹介しているのですが……なんとも唐突な発言であるように思われます。
6)メモの特異性
産経新聞によると、数多い手帳の中でもこのようにメモが糊付けされて貼られているのはここだけのようです。確実にいえるのは、不自然であるということ。
これらの疑問を統合すると、このメモに書かれている『私』とは昭和天皇ではないのではないかという疑惑が浮かんできます。