日本史⇒総てウソに始まりウソに終わる
投稿者: vvwvvzxv1 投稿日時: 2005/09/06 17:35 投稿番号: [21466 / 52541]
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日本歴史、いま君らが論争しているのは、昨日今日戦後の朝飯前後の話しに過ぎない。
日本の歴史は日本書紀、古事記から論じられなければならない。
この2書をウソ本、捏造本というは易い。
だが總てをそう断じてしまうと話の始まりさえ失くしてしまう。
学問的には『実に怖ろしい』のが日本史である。
文字のない時代の、或いは紀元前660年に遡って歴史を記述するまさにカミワザを発揮して遡上して書いてある。
660年前をどう記憶したのか(笑)
アイヌの口承文学の存在に当てはめて創作したのだろうが、そのとき神々が居て……
その神々を人が見たように書くのも可笑しい。人以上に能力のあるカミが何故記録しなかったのか。
いずれにしろこれら日本史が奈良朝以前のものは後の為政者の脚色、潤色であることは間違いない。
それ以前のものは総て「きれい事」にしておきたい編纂者の捏造。
当時はまたそう潤色したことで朝廷に褒められもしたろう(笑)。
そんな歴史に真実が在るわけもなく、歳月に合わせたストーリーの組み立て。
それが日本の歴史原本なのである。
そこで某氏が指摘する「奈良朝廷の朝鮮文化」からの救命的導入、採用があったとする論の信憑性が成立する。
ヒエダノアレイいかに記憶力在ろうと、傍で筆記した者が知恵者だろうと、
其処に朝鮮からの学者が存在しないで古事記の成立はなかった。
結論を言えばそうなる。古事記の壮大な捏造はこの朝鮮文明を受容した上で、その元本(もとほん)に日本人が改竄の筆を重ねた。
この推論の方が、はるかに日本歴史に信憑性を与えるはずである。
いずれにしろ日本の歴史は後世の『政治』権力が過剰に働いて作成された所以以外の何物でもないことは確かである。
それを糺すには、日本の学界、殊に現状の歴史アカデミズムは解放されなくては成らない。
学者が筆を進めるに右顧左眄して真実が表に出ることはあり得ないのである。
◆家永三郎氏のように真実を貫いて消えるを潔しとする学者はそう多くはないのである◆
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これは メッセージ 1 (jjjjjjjjjjjjjjkohe さん)への返信です.
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